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大阪地方裁判所 平成3年(わ)793号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  本件公訴事実及び弁護人の主張

一  本件公訴事実は「被告人は、大阪弁護士会に所属する弁護士であり、かつて暴力団山口組の顧問をつとめていた者であるが、大阪市中央区千日前〈地番略〉所在の株式会社T(代表取締役K、当時四一年)から同所に所在する店舗兼居宅ビルの建替え工事を依頼された株式会社D工務店(代表取締役D、当時五九年)が右工事を施工するに当たり、同所東側道路に面して右山口組系A組事務所があったことから、平成二年三月二七日、同工事の施主である右T、施工者である右D工務店及び右両会社の代理人弁護士Lと右A組事務局長Nとの間で、工事期間、工事の基本精神等を内容とする協定書を取り交した上、前記ビルの解体工事を終え、同年七月一〇日から新ビル建築のための基礎工事を開始するや、同組若頭E及び右Nらと共謀の上、同組の組織、威力等を背景にして同工事を不法に阻止した上、同組組長Aのため、右K及びDから、前記工事に伴う近隣対策費名下に高額の物品を喝取しようと企て、同月二〇日ころから、右E及びNの両名が、同市中央区千日前〈地番略〉『喫茶店丸福』等において、右Dに対し、『工事をしたらあかんと言うとんのや。A組としては工事を承諾していない。協定書は白紙撤回せい。うちも弁護士を入れるから、あんたとこの弁護士と話がついてからにしろ。それまで工事をしたらあかん。』等と語気鋭く申し向けて脅迫し、右Dをして同工事を中止させ、被告人において、同月二一日から同年八月二七日ころまでの間、四回にわたり、同市北区西天満六丁目七番四号大阪弁護士ビル六〇一号室『L法律事務所』に電話をかけて、すでにA組に四〇〇万円を渡しているので工事再開を認めてもらいたい旨をいう前記Lに対し、『Tの建築工事に関して、A組から依頼されたことを話します。A組としては、この建物の建築については承諾するわけにはいかないということです。A組では、以前、島之内でも隣地で同様のことがありましたが、家を建てさせておらず、空地のままになっています。工事は無理でしょうね。組員が多勢いるので事実上建てさせないでしょう。』等と申し向けて、右A組が同工事を承諾せず、かつ、同工事を再開させない旨一方的に通告した上、更に『しかし、えらいとこの工事を受けたもんですね。建築業者さんだけでは解決できないんじゃないですか。A組の組員はようけおります。二〇〇〇人位いるんです。』、『A組の件なんですが、結局、どうも僕に任す、担当せいということなんです。いざ解決となれば、端的な聞き方をしますが、施主さんなり、その業者さんなりは出費される意思はありますか。お金というのんもね、どうかと思うんですよ。何か記念の品を贈るということはできませんか。あと一〇〇万円では解決しないと思います。理屈はもう全然だめだね。理屈でやったって通る話じゃないと思います。それにしても出費のいることですね。解決するんだったら、かなりの金額いるんじゃないかと感じてますわ。たとえば二・三〇〇〇万円とかですねえ。しかしですねえ、現金は受けとらんということですから。記念品いうたら、好きな物とかですね。ガレのガラス工芸品なんか好きなんですね。このガレの工芸品はものすごい高いですよ。』などど申し向けて高額の物品を要求するとともに、『組長が絶対やめとけ言わんかぎり、子分が勝手に動くことになる。この問題は抗争みたいなもんです。とにかく何か権威が落ちることがあれば、組長からストップの指示がない限り、子分が行くのが前提です。A組としては、対策費として五〇〇万円出させて隣に建てさせてやったということになると非常にみっともない。格好悪くて歩けない。』、『A組長とはすごく濃いので、もめてややこしくならないように動きます。組長は、かなりの部分で私の言うことを聞いてくれる面はあるんですよ。』などと暴力団の実態、A組の組織、同組長との関係等を申し向け、いずれもその都度右Lをして、前記K及びDにその旨伝達させ、もし前記要求に応じずに工事を再開すれば、引き続き同組組員らが前記工事を阻止することはもちろん右両名の身体、財産、業務等にいかなる危害を加えるかも知れない気勢を示して右両名を畏怖させ、同人らから高額の物品を喝取しようとしたが、同人らがこれに応じなかったため、その目的を遂げなかったものである。」というものである。

検察官は、弁護人の求釈明の申立てに応じて、右公訴事実を敷延し、喫茶店「丸福」におけるE、Nの言動が公訴事実に関する実行行為の一部であって、本件は、その後(七月二〇日又は二一日)に被告人が他の共謀者らと意思を連絡し、共同実行の意思を生じた承継的実行共同正犯の事案であるが、順次共謀であるかどうか等の共謀の成立過程の詳細は不明であり、E、N以外にも共謀した者がいるが特定できない旨釈明し、また、被告人が共謀に加わった根拠として、〈1〉E、Nが工事の妨害をすることを承知していたこと、〈2〉A組事務所に被告人が出入りしていたこと、〈3〉被告人自身かつて山口組の顧問弁護士であったという山口組との関係の三点を挙げている。

二  これに対する弁護人の主張は多岐にわたるが、要するに、本件捜査及び公訴提起の重大な違法を理由に公訴棄却の判決を求めると同時に、被告人の行為は、紛争解決に向けた弁護士としての弁護士間交渉そのものであって、恐喝の実行行為と目されるべきものは何もなく、被告人は無罪であるというものである。

捜査及び公訴提起の違法の理由としては、捜査機関が、被告人を陥れるためL弁護士が秘密録音した録音テープの存在を秘匿し、録音テープが存在しないことを前提に内容虚偽の供述調書を作成したこと、本件公訴事実は、被告人のL弁護士に対する発言を歪曲し、断片的かつ恣意的に編集したもので、証拠に基づかないものであること、共謀に関する証拠が何らないまま、被告人を暴力団員との共謀で起訴することそれ自体を目的に敢行したものであること、さらに、あろうことか、本件で最も重要な証拠である録音テープそれ自体に改ざんが加えられていたことが公判の過程で明らかになったこと等を挙げ、無罪の論拠としては、被告人がE、Nその他どのような者とも恐喝を共謀したことはないこと、被告人の行為は、紛争の解決に向けた弁護士の正当な業務行為の範疇にとどまるものであって、脅迫文言を述べたり、金品を要求したりしてはおらず、L弁護士からK及びDへの伝達の過程で恐喝文言へのすり替えが行われていること等を掲げ、構成要件該当性の不存在及び正当業務行為としての違法性の阻却を主張している。

第二  当裁判所の判断

一  本件及びその前後の事実経過について

1  被告人の当公判廷における供述、第一回及び第二三回公判調書中の被告人の供述部分、〈調書等省略〉を総合すれば、以下の各事実が認められる。

(1) 被告人は、司法修習(第二七期)修了後、昭和五〇年四月大阪弁護士会に弁護士登録して弁護士業務を始め、昭和五四年三月以降は大阪市北区西天満〈地番略〉に「甲野法律事務所」を設けて現在に至っている。その間、被告人は昭和五九年八月暴力団山口組の顧問弁護士に就任したが、昭和六二年九月二二日同弁護士会から「戒告」の懲戒処分を受け、程なく顧問弁護士を辞任している。

(2) 株式会社T(代表取締役K)は飲食業(焼肉店)を営んでいるが、同市中央区千日前〈地番略〉所在の店舗が古くなったので、これを建て替えることとし、平成元年一二月ころ、新店舗(店舗兼居宅・鉄骨ALC版造地上三階建一部地下一階)の設計を株式会社 C1一級建築事務所(代表取締役 C2)に、施工をM建設株式会社(代表取締役M)に依頼し、旧建物の解体工事は G1建設株式会社(取締役 G2)が下請けとして担当することになった(以下、右千日前店の解体及び新築工事を「本件工事」という)。千日前店の東側には、南北に延びる幅員約一・一三メートルの路地をはさんで暴力団山口組系A組の組事務所に使用されているAビル(所有者A)があることから、 G1建設の G2社長やH専務らが本件工事についてA組側の了解を得るべくA組事務局長のNと折衝を重ねたが、期待していた返事がもらえず、翌平成二年二月ころには、M建設は本件工事から一切手を引くことを決めた。そのため、TのK社長は、改めて本件工事を株式会社D工務店(代表取締役D)に依頼し、同年三月初旬仮契約を結び、同月一五日本件工事の請負契約を締結した(請負代金額は一億四〇〇八万円)。請負契約書は四会連合協定用紙を使用したもので、契約書中には、本件工事請負契約が「添付の工事請負契約約款」に基づくものであるとの記載がある。

(3) D工務店のD社長は、同月七日ころ、K社長の妻である K′、K社長に建築事務所等を紹介したFの両名を伴ってA組事務所を訪れ、本件工事についてA組側の了解をとりつけようとNと折衝したところ、NはA組が他の組と抗争中であり、相手方の組員が工事人夫に紛れ込んでA組を襲撃する恐れがあるなどとして工事に難色を示したものの、A組組長Aの内妻で、Aビル一階でフラワーショップ「花一番」を営んでいるBのところに話を持って行き、同女を介して組長の承諾をもらうよう示唆した。そこで、 K′がかねて面識のあったBに連絡し、Aへの仲介を依頼したところ、同月一〇日ころになって、Bから、双方弁護士を立てて協定書を交わし、弁護士同士の話ということにすれば工事をしてもよいとAが言っているとの返答があったので、その旨をKに伝えた。Kは、かつて民事紛争の処理を依頼したことのあるL弁護士(司法修習第一六期)に本件工事に関する協定書の作成を依頼するとともに、DにL弁護士の事務所へ行くよう指示した。

(4) 同月一九日、Nからの連絡でDがA組事務所に赴いたところ、Nは、双方弁護士を入れて協定書を交わすと聞いているが、弁護士がこの件を保証するならA組は工事を承諾するなどと言い、協定書の案文を作ってくるよう求めた。それでDがNの意向をL弁護士に伝えたところ、L弁護士は、A組との交渉の窓口としての代理人であるならば引き受けてもよいと言い、その後Dが調整のためにA組事務所とL弁護士の事務所を何回か往復し、同月二七日に至ってようやく協定書が作成された。その際、Nは「この事務所はわしが預かっている」などと言い、協定書(以下「本件協定書」という)の当事者欄の「甲」欄(近隣者側の欄)に「A組N」と署名し、「N」の印影のある印鑑を押捺した。当事者「乙、丙」欄には「T代表取締役K、D工務店代表取締役D」の各記名押印があり、その下欄にはL弁護士が「甲」との交渉の窓口として「乙、丙」の代理を受任したことを証明する趣旨の文言が記され、その下には「弁護士L」の記名押印がある。

なお、本件協定書の作成に当たり、K、D及びL弁護士は、Aビルの所有関係やA組事務局長というNの代理権限について調査していない。また、Dは、本件協定書が無事作成されるに至ったことから、KやFらには内密で現金二〇〇万円をNに手渡している。

(5) D工務店は、Nから使ってくれと頼まれていたG建設を下請けに用いて同年四月五日から千日前店の解体工事に着手し、同年七月六日同工事を終了した。

続いて、同月一〇日から株式会社松下殖産を下請けに使って新建物建築のための基礎工事にとりかかったところ、同月一六日になって、Nが組員数名を伴って本件工事現場に来て、「うるさいやないか、すぐ工事やめ」などと怒鳴り、工事の中止を要求してきた。この日は地下を掘削したり、コンクリート塊を打ち砕く工事が行われていて、Dにおいても忍耐の限度を超えるような相当な騒音があったと判断されたことなどから、Dは、工事現場の周囲を鋼板で囲み、その上から防音シートを張る措置を講じ、また、コンクリートを粉砕する際に大きな音の出るアイオンという機械に代えて、コンクリート塊を握り潰すようにして打ち砕くクラッシャーという機械を用いることとし、翌一七日以降、防音のための仮設工事を始めた。

(6) ところが、同月二〇日、二回にわたりA組若頭のEが本件工事現場に来て、一切の工事の中止を求めるとともに、社長を呼ぶよう言ったことから、D工務店の現場監督Oが工事の続行は無理であると判断し、その旨をDに伝えた。Dが同日午後四時三〇分ころA組事務所に赴き、事務所から出てきたE、Nと工事現場南側の喫茶店「丸福」に入ったところ、Eが、Dに対し「わしは頭のEやが、あんたとこ勝手に工事をしたらあかんやないか、協定書はNが勝手にしたもので、A組としては解体工事しか承諾していない。協定書は白紙撤回せえ、双方弁護士を入れて、弁護士同士話し合いをさせろ」などと言って、本件工事の中止を求め、Nもこれに同調して「頭の言うとおりにしいな」などと言ってきた。Dは、Eの話の内容をK及びL弁護士に伝えた。

この点について、Eの平成三年五月一六日付検察官調書(検一四三)には、Eが「お前とこ弁護士入れているらしいが、弁護士をわしのとこに来させや、弁護士と話がつくまでは工事を中止せえ」と言った旨の記載があり、Nの同年七月一四日付検察官調書(検一五四)にも同旨の記載があるが、暴力団幹部が相手方弁護士を呼びつけて話をつけるというのは明らかに不自然であって、右認定事実に沿うDの同年一月一八日付検察官調書(検九〇)の供述記載等と対比し、E及びNの右供述はたやすく信用することができない。

(7) 翌二一日昼前ころ、被告人は、前記L法律事務所に電話をかけ、L弁護士に対し、Aが本件工事を承諾していないこと等を伝えた(電話の内容は後記認定のとおり)。L弁護士は、この七月二一日の電話についてはカセットテープに録音しておらず、会話メモ等も残していない。

(8) そこで、L弁護士は、被告人からの電話の趣旨をK及びDに伝達するとともに、Dに対し、所轄警察署に相談に行くよう指示し、Dは、同月二三日、南警察署に赴いた。南署相談係のDに対する指導の要旨は「協定書の条件に沿って工事を進めればよい。暴行、脅迫等があれば直ちに一一〇番通報するように」というものであった。

司法警察職員作成の平成二年七月二七日付捜査報告書(検一)添付の警察相談カードの備考欄には「※7/26、L弁護士が引受けてくれた。相手方の弁護士は甲野という人ですが、弁護できないと言っていたとのこと」という記載がある。

(9) 大阪府警察本部刑事部捜査第四課の梅津班に所属する南宣治巡査部長は、同月二六日、事件情報収集の目的で南署に立ち寄った際、A組が隣の焼肉店の工事を妨害しているとの情報を得た。そこで、南刑事は、本件の端緒を得たことを梅津班の上司に報告するとともに、L弁護士に電話して、D及びKへの連絡を依頼し、Dについては翌二七日以降、Kについては同年八月一日以降、本件の被害状況等に関する事情聴取を開始した。

(10) 同年七月三〇日になり、防音のための仮設工事も終わり、クラッシャーも搬入されたことから、D工務店及び松下殖産の職人らが現場に入り、本件工事を再開したところ、同日午後二時三〇分ころ、NらA組の組員が工事の中止を要求し、Nが、Dに対し「何で工事をするんや、電話も聞こえんやないか、さっきうちの弁護士も来とったが、工事をやらしてよいとは言うてはなかった、工事は両方の弁護士の話し合いの上ということになっておるのに、お前、何でやるんや」などと言った。そのため、DがL弁護士に電話し、現場の状況を報告したところ、L弁護士は、Dに工事を続けるよう指示した。その後、Dが職人らに命じて工事を続けていたところ、同日午後三時一五分ころ、再び五、六名のA組組員らが工事現場に入り込んできて、職人らに「やったらいかん言うてるのに、何でやるんや」などと大声で威嚇するように言ったことから、Dは、不本意ながら、組員に対し、工事を一時的に止めることを約束し、再びL弁護士に電話をして、A組の弁護士である被告人と連絡をとり、工事ができるようにして欲しいと懇請した。

Dは、翌三一日及び八月一日の二日間は職人らを本件工事現場に待機させたが、八月一日の時点で工事の中断を決め、翌二日以降従業員及び建設機械を工事現場から引きあげた。

(11) L弁護士は、Dの依頼を受けて、七月三〇日被告人の事務所に電話したが被告人は不在で、事務員に電話をくれるよう頼んでおいたところ、八月一日午後四時ころ、被告人から返電があった。L弁護士は、被告人の承諾を得ることなくこの電話を留守番電話装置(タカチホ製リモートホンAT-500)と用いてマイクロカセットテープに録音した。電話での会話内容は、別添の弁護士P作成の「録音テープ解読についての報告書(写し、弁九ないし一九)(以下『テープ解読報告書』という)」八月一日分記載のとおりである。

以後、L弁護士は八月九日、八月二七日、九月一〇日、九月一三日、九月一七日、九月二五日、九月二八日、一〇月二日(二回)及び一〇月三日の被告人との電話についても右と同様の方法で録音している(なお、弁護人請求の右テープ解読報告書一一通は、検察官の同意により証拠として取り調べたもので、「D」と記すべきところを「 D′」としたり、若干の間投詞的な文言や語尾の欠落等はあるものの、これらは本件公訴事実の存否の判断に何ら影響するものではなく、全体として押収してある録音テープ九本《平成三年押第二二七号の1ないし9》を忠実に反訳したものと認められるので、以下右と同様にこれを引用して録音テープに収録された各電話における会話内容を特定する)。

(12) L弁護士は、八月一日の電話での被告人とのやり取りについても、その内容をK及びDに伝えた。

Kは、A組からの金銭要求には一切応じない考えであったが、Dの方は。、今後の他の工事の受注、施工に及ぼす影響等を考慮して穏便な方法による解決を望んでおり、八月三日以降、A組側に金銭を渡す方法による解決をしないよう南刑事から強く説得されるなどしていたところ、八月九日午前一一時三〇分ころ、被告人からL弁護士に電話があった。その内容は、テープ解読報告書八月九日分記載のとおりであり、L弁護士はその内容を直ちにK及びDに伝達した。

その結果、同日午後三時ころ、K、D及びFの三名がT曾根崎店近くの喫茶店に集まることになり、その場で、Kが、金銭要求には一切応じず、警察の力に頼ってA組との問題を解決する方針を強く主張してDを説得し、結局Dも施主であるKの方針を了解することで三名が合意した。

(13) 八月二七日午後四時五〇分ころになって、被告人からL弁護士に電話があった。その内容は、テープ解読報告書八月二七日分記載のとおりである。L弁護士は、八月二七日の電話での被告人とのやり取りについても、その内容をK及びDに伝えた。

L弁護士は、この八月二七日の被告人との会話を踏まえ、同年九月三日以降、告訴人をT及びD工務店、被告訴人を被告人、E及びNの三名ほかとする恐喝未遂罪の告訴状の準備に着手した(ただし、告訴状が大阪府警察本部に正式に受理されたのは同年一二月以降である)。なお、Kは同年九月一七日ころに、Dは同月一九日ころに、それぞれ同警察本部宛に本件の被害届を提出している。

(14) その後、被告人は、九月一〇日(午前一一時三〇分ころ)、同月一三日(午後四時二〇分ころ)、同月一七日にもL弁護士と電話で会話をしている。その内容は、テープ解読報告書九月一〇日分、九月一三日分及び九月一七日分各記載のとおりである。

(15) 梅津班の班長である梅津公平警部は、九月一四日、大阪地方検察庁刑事部の井越正人検事を訪ね、本件恐喝未遂事件について、L弁護士の警察官調書等の捜査資料に基づいて事件の概略を説明し、今後の捜査方針等について事件送致前の相談をした。その結果、井越検事がL弁護士から直接事情を聴取することとなり、九月一八日午前一〇時ころ、L弁護士は八月一日、八月九日及び八月二七日の各電話の録音テープを井越検事の執務室に持参し、その面前でテープを再生して事件内容を説明した。ところが、これに対する井越検事の反応が慎重な姿勢を示したものであったことから、L弁護士は、検察庁を頼りないと感じるとともに、刑事事件としての立件の困難さを予想した。

(16) そのため、L弁護士は、同月二五日、被告人に電話して、本件協定書の確認書の作成を求めた。その電話の内容は、テープ解読報告書九月二五日分記載のとおりである。被告人とL弁護士は、その後同月二八日、一〇月二日及び同月三日にも電話でのやり取りをし、本件協定書の再確認書を交わすこと等について折衝を続けている。その内容は、テープ解読報告書九月二八日分、一〇月二日分(一)、一〇月二日分(二)及び一〇月三日分各記載のとおりである。

(17) 被告人とL弁護士は、一〇月三日午後二時三〇分ころ、大阪弁護士会館で本件に関して初めて顔を合わせ、本件協定書の再確認書を作成した。その場には、被告人の要望により、Aの秘書であるIが立ち会った。右再確認書には、本件協定書の当事者「甲」がAであることを明らかにし、本件工事の竣工予定を平成三年四月末日と変更するほか、本件協定書の合意事項がそのまま有効に存続していることを確認する旨が記載され、当事者「甲」欄にはAの代理人弁護士として被告人の、甲側立会人としてIの各署名押印があり、その下欄には乙・丙代理人としてL弁護士の記名押印がある。

(18) 本件協定書の再確認書が交わされたことにより、D工務店は平成二年一〇月一五日から本件工事を再開し、その後は特に紛議もなく、翌平成三年四月初旬ころT千日前店の新建物は完成した。

(19) 本件の証拠物である録音テープ九本のうち、八月一日分、八月九日分、八月二七日分(二本)の計四本は、L弁護士が平成三年一月一八日検察官に任意提出して領置されたものであり、九月一〇日分以降の計五本は、弁護人による証拠保全の申立てに基づいて平成三年三月八日当庁裁判官が発した提出命令により、同月一二日押収されたものである。

(20) なお、平成二年七月三〇日の本件工事妨害に関し、検察官は、論告において、Dが平成三年一月一八日付検察官調書(検一九三の二)中で「その後も工事を続けると、午後三時一五分ころ、同じような戦闘服を着た暴力団員が来て、工事を止めるよう怒鳴り始めた。現場の表にはまた暴力団員四、五人がおり、Dが弁護士に聞いたら工事をしてよいということなのでやっていた旨説明すると、『何をぬかしとんじゃ。そっちの弁護士が勝手にしてもよいと言うてもあかんやろ。こっちの弁護士と話し合って解決してからと言うとるやろ。こっちの弁護士はよいとは言っとらん』とか『A組も何も無茶なことを言うとる訳やない。お互いに弁護士を入れて弁護士同士納得のいく話をした上で工事を始めてもらおうと言うとんのや。お互いの弁護士の話し合いが済むまで工事は中止したらどうや』などと申し向けて来た。それでDもそれ以上工事を進めることができず、『分かりました。それなら両方の弁護士同士の話し合いが済むまで工事は中止します』と要求に応じた」と述べた部分を引用しているが、当該部分は、検察官の平成六年七月一四日付証拠調請求書には刑事訴訟法三二一条一項二号後段所定の供述の相反部分として摘記されてはおらず、従って同号後段の書面として証拠採用していないものであるから、これを本件公訴事実を証明するための証拠として用いることはできない。

2  七月二一日の電話の内容

(1) 証人Lの公判廷での供述(以下「L証言」という)によると、七月二一日の電話の内容は次のようなものであったとされている。すなわち、被告人は「もしもしL先生ですか。協定書に先生のお名前が出ていたので電話しました。A組のメッセージをお伝えします。A組はTの新しいビルの建築は承諾していない、そこまでを伝達します。自分はこの件はメッセージを伝えただけで、以後この事件には関わらない(『やりません』とは二、三回言った)。島之内でもA組関連のビルの隣の工事がストップしている」と言ってきた。これに対し、私が「承諾しないと言っても建築完成まで協定書ができており、法的に止められないはずだ。(現場が大阪を代表する千日前の繁華街なので)先生これはマスコミとか警察に伏せることはできませんよ。必ず明らかになるから問題ですね。そんなこと言わず、組を説得してもらえないか、工事をさせてやってくれ」と言ったところ、被告人は「それはできない」と答え、私がメッセージの発信者の名前を教えてくれるよう求めたことについては、被告人は「その名は言えない」と答えた。私が「民事、刑事で防御をしますよ」と言ったところ、被告人は黙っていた。この時は、協定書がNの無権限によるものとか、解体工事のみについてのものであるとか、あるいはその書き替えを求めるとかの話は出ていない、というものである。

また、L弁護士の供述経過という立証趣旨で証拠採用したLの平成三年一月一九日付検察官調書(写し)(弁五八)では、被告人の話は「千日前のTの建築工事に関して、A組から依頼されたことを話します。A組としては、この建物の建築については承諾するわけにはいかないということです。これは、A組からのメッセージであり、私は代理人にはなっておりませんし、また、なるつもりもありません。A組では、以前、島之内でも隣地で同様のことがありましたが、家を建てさせておらず、空地のままになっています。工事はA組の承諾なしにはできないでしょうね」というものであった。私が「あなたの依頼人の名前は誰なのですか」と尋ねると、被告人は「それは私の立場上言えない」と答え、「A組としては、Tの建築工事をさせないということですね」と再確認したうえ、A組を無視して工事を進めたらどうなるかと尋ねると、被告人は「それは無理でしょうね。組員が多数いるので、事実上建てさせないでしょう」と言った。それで、私が「しかし、そのようなことは法律的にもできないでしょう。あなたも弁護士なんですから、そのようなことはできないし、場合によっては刑事事件になることを依頼人に警告して、中止させなければいけないのと違いますか」と言ったところ、被告人は「それは私にはできません」と言って電話を切った、とされている。

(2) これに対し、被告人は、第一回公判期日の際の意見陳述において、七月二一日の電話での被告人の発言内容は「Aビルの隣の工事のことなんですが、Aさんが工事を承諾していない、と言っているんです。Nという者が勝手にサインしたらしいんですが、協定書やり直してもらえませんか」というもので、これに対し、L弁護士は「Nいうたら責任者ちゃうんかい、なんでAは承諾せんなんて言いよんねん」などと言い、私は「以前島之内でもそんなことがありました」等と話した、としていたが、その後、第二三回公判期日における公判手続更新に際しての意見陳述では、被告人が「協定書やり直してもらえませんか」と言ったと先に意見陳述したのは誤りで、七月二一日の時点では協定書のやり直しまでは考えていなかった旨訂正し、さらに、第四三回公判期日の被告人質問において、Aが「建築を承諾していない」というのではなく、Nが作成した「協定書を(Aは)承諾していない」ということをL弁護士に伝えたに過ぎないと供述し、右陳述内容を事実上訂正している。

被告人質問での供述の要旨は、「A組のNという者が、Aが当事者と成るべき協定書に勝手にサインしてしまっているので、そのことを伝えます。L弁護士の『代理人になるのか』の問いかけには、『なりません』と断言した。以前島之内でも建築工事に伴う近隣紛争のことでそういう問題があったということは言っている」というものである。

(3) このように、L証言と被告人の供述は、両者を対比すると、その間に著しい齟齬があるとまではいえないにしても、いくつかの重要な点で食い違いがみられるところ、L証言も被告人の供述も専ら各々の記憶に基づくもので、もともと正確性を期し難い面があるが、八月一日の電話の内容からすると、L弁護士が七月二一日の被告人の発言内容を八月一日の電話での会話中に再現し、カセットテープに保存しようと努めている様子が認められる一方、被告人の方は、テープに録音されていることを予想せず、法曹の先輩で、気心を許せると考えていたL弁護士の発問に応じて、憚ることなく自然に返答していることから、録音テープに収められた八月一日以降の各電話の会話内容それ自体が七月二一日の被告人の発言内容を検証する有力な手掛かりとなっている。

(4) そこで、このような視点に立って、右両者の供述内容の信用性について以下検討するのに、まず、承諾していない云々の主体が「A組」であるのか「A」個人であるのかの点については、八月一日以降の会話の中で被告人が暴力団組織としてのA組の意向であるとして述べた部分は全くなく、L弁護士も八月一日の電話で「Aとしては結局、あれをまあ、自分とこが買いたいちゅうようなニュースも入ってんねん」「ナンバー2やからな」「今をときめくやろ、若頭ということか」「この間電話もろた時は、あのー、建てるのは承諾せんちゅうてるねんやろ」と話すなど、A個人の考えの問題であることを前提にして会話を進めていることからすれば、右の主体はL証言にいうような暴力団A組ではなく、その組長であるA個人であると認められる。

次に、Aが「新しいビルの建築は承諾していない」「建築工事をさせない」「建てさせない」と言ったのか、「工事を承諾していない」と言ったのか、あるいは「協定書を承諾していない」と言ったのかの点については、八月一日の電話内容によると、L弁護士の「建てるのは承諾せんちゅうてるねんやろ」との問いかけに対し、被告人は、一旦「そうです」と返答したものの、その直後にL弁護士から「確定的に建てささんという感じ」との確認されたのに対しては、「いや、その点はちょっと僕、そこまで。あのーそういう意味じゃなくて、承諾はしていないと、そこまでです。はい。あのー、承諾はしていないという、そこまでですけどね」と述べていて、Aは「建てさせない」とまでは言っていないことを明らかにしているが、他方、協定書がNの無権限によるものであることを会話中で明示してはおらず、八月二七日の電話でも、L弁護士の「納得しそうにないわな、今の状況では。一応『建てささん』ともう言うとんねんからな」との発言に対しても、「ええ。そないに言うておられますわね」と簡単に相槌を打っていること、被告人自身も第一回公判期日における意見陳述では「Aさんが工事を承諾していない、と言っているんです」とL弁護士に伝えた旨述べていたもので、これは右に引用した八月一日の電話の会話部分とよく符合していることからすれば、Aの真意がどうであったかは別にして、被告人がL弁護士に伝えたのは、Aが「工事を承諾していない」というもの、換言すればAが過去に本件工事を承諾した事実はないというものであったと認められ、これに反する右L証言及び検察官調書の記載並びに被告人の公判供述はいずれも信用することができない(なお、Lの平成三年一月一九日付検察官調書《検八一》に添付された「平成二年八月二七日に甲野弁護士とLの電話による会話記録」と題する書面は、梅津班に所属する河田俊作警部補が九月二八日に八月二七日分の録音テープをL弁護士の事務所で聞いて作成したメモにL弁護士が補足して確定稿とし、同事務所でワープロで作成したものであるが、録音テープを手元に置きながら作成された右会話記録をテープ解読報告書八月二七日分と対照すると、被告人が曖昧に述べている部分が削除されていたり、電話の冒頭で被告人が「指針が出なくってですね」と述べている部分が、右会話記録では「《L》今日は。角度《『確度』の誤り》の高い見通しを出し《て》もらえるのですか」「《甲野》ええ。それでですね」と記載され、また、「直接じゃないんですけどね、秘書の人が言っておるんですが」と述べている部分が、「A組の幹部の人と一緒に飲みましてね」と記載されていたりするなど、要するに全体として恐喝の犯意を強める方向に被告人の発言内容が修正されている箇所が多々認められるところ、これを検察官が論告で主張するような「趣旨の違わない限度での微細な食い違い」に過ぎないものとは到底解し得ず、また、L証言には「刑事事件は供述調書でやるんですよ」などという裁判所としてたやすく看過できない供述も含まれているのであって、これらのこともL証言の信用性判断に際しては考慮せざるを得ない)。

L弁護士が「そんなこと言わず、組を説得してもらえないか、工事をさせてやってくれ」と言ったところ、被告人が「それはできない」と答えたことがあったかどうかの点については、八月一日の電話からは七月二一日にそのようなやり取りがあったような形跡はうかがえず、しかも、代理人にはならないと明言している相手方弁護士に対し、その依頼者に対する説得を要請するというのも些か不自然であって、直ちに右のような会話があったものと認めることはできない(被告人が代理人にはならない旨を明言していた事実については、被告人も被告人質問における供述中でこれを肯定しており、前記警察相談カードの備考欄の記載とも符合することからも、これを認めることができる)。

L弁護士が「メッセージの発信者」あるいは「依頼人の名前」を訪ねたのに対し、被告人が「言えない」と答えたかどうかの点については、八月一日の会話以降、被告人が一貫してAを依頼者として位置づけていることが明らかで、その意向を伝えようとしている事実を隠そうとしている様子はなく、八月二七日の電話ではAとの間に秘書が介在していることも明らかにしているのであって、被告人がメッセージの発信者あるいは依頼人の名前の開示を七月二一日の時点で殊更に拒否したとは考えにくく、これについても直ちに右のような会話があったものと認めることはできない。なお付言するに、「メッセージ」という用語は、「メッセンジャーボーイ」という言い方や、被告人が「私のメッセはそこまでです」と言ったというL証言の特異の言い回しからも明らかなように、L弁護士自身の語法である。

また、被告人が島之内の件を引き合いに出したことについて、L弁護士は、弁護人の反対尋問に対して、被告人が「TのビルについてもA組の承諾を貰わなければ同じような運命になる可能性があるんじゃないか」と述べた旨供述しているところ、被告人が事実そのような発言をしたかどうかについては、八月一日の電話において、被告人は「そのまんま、ほかのとこは止まっちゃってますものね」などと言っており、Tビルも同じ経過を辿る可能性があることを示唆しているとはいえるが、他方、八月二七日の電話では、島之内では周りがストップしていることと対比して、(本件の場合)「そういう感じはないんですよ」「この件に関してはですね。あのー、建つような気がしますね」などと言っていることからすれば、「同じような運命」云々というのは、被告人の発した言葉そのものとは認め難く、むしろL弁護士が被告人の発言をそのように理解した結果を述べたものと考えるのが相当である(L弁護士は、七月二一日の電話をK及びDにどう伝えたかについて弁護人から尋問された際も、「私がTのビルも同じ運命を辿るんだなと聞いたら、(被告人は)『そういうことになりますね』と言っていた」と供述しているが、これも右と同様と考えられる)。

七月二一日の電話の中では協定書のやり直しの話が出ていないことについては、L証言と被告人の右訂正後の意見陳述とが一致している。

(5) 以上によれば、七月二一日の電話内容に関するL証言の信用性は全体に低いものといわざるを得ず、被告人の発言の要旨は、第一回公判期日における被告人の意見陳述にほぼ近いもので、被告人の発言内容は「本件工事について、Aは工事を承諾していないと言っている。協定書は、Nという者が勝手にサインしたらしい」「以前島之内でもそんなことがあった」という程度のもので、併せてこの件では代理人にはならない旨をL弁護士に伝えたものであったと認められる。

3  被告人がL弁護士と一連の電話で会話をした経緯

(1) 被告人は平成二年七月二一日から同年一〇月三日までの間に本件に関し多数回にわたってL弁護士と電話で会話をしており、そのうち七月二一日から八月二七日までの四回の電話における被告人の発言が被告人が分担した脅迫及び金品要求の実行行為であるとして公訴事実中に掲記されているところ、そのような電話をするに至った経緯について、被告人は公判廷で概ね次のように供述している。

すなわち、七月二一日の数日前に、A個人の秘書であるIから、Aビルの隣の焼肉屋の建て替えについてNが勝手に書類を巻いており、Aは承諾していないので、そのことを相手方弁護士のL弁護士に伝えてくれないかと言われた。それで七月二一日に事務所からL弁護士に電話したが、もともと組関係の民事事件を扱うことには消極的で、しかも交渉案件は嫌いであり、さらに当時は離婚した妻秋子の子宮癌の手術の時期とも重なっていたこともあって、L弁護士には代理人にはならない旨をはっきりと言った。Iにはその後L弁護士に電話したことを伝えていると思う。八月一日の電話は、七月三〇日と三一日の二回にわたってL弁護士が連絡をとりたい旨を電話で伝えてきたことに対する返電である。電話の内容、すなわち相手方のL弁護士の方から五〇〇万円で示談できるように口添えして欲しいと言ってきていることについては、八月一日から九日までの間に、電話でIに話している。Iは「親分、お金みたいな受け取りまへんで」「お隣からお金みたいな貰ろたら歩けまへんがな」と言い、続けて「先生の方で話しとってくださいな、任せますわ」と言った。これにより、私はAの代理人として近隣の紛争について交渉する立場になった。八月九日の電話は、出先からかけたもので、代理人として関与することになったことをL弁護士に伝え、次回には確度の高い見通しを立てて話することを述べたものである。八月二七日の電話は、Aと会う前にL弁護士側の考えを一応聞いておこうという考えから電話したものである。L弁護士への電話の前にIと電話で連絡をとった際、八月九日の電話で記念品でもどうかという提案をした旨Iに伝えたところ、Iは「先生がそう言わはったんなら、それでよろしいがな」と言っていた。Iからは、施主の妻がBに二〇〇万円を手渡しているらしいということも聞いた。九月一〇日の電話は、その二日前の九月八日に梅田の東映会館でAから本件工事の関係で初めて直接話を聞くことができたことから、L弁護士に電話したものである。Aは「隣の件解決しとってください」「うちのが向こうの方から言われて、うっとうしがっておりまんね」と言っており、工事の結果、建物が壊れたり、ひびが入ったりしたら補償するという形で解決するよう言われた。ただ、その後Iと食事をしたときに、Iに「何もなしでいいんかな」というふうに尋ねたところ、Iは「もう記念品でと言いはって、何もなしやったら具合悪いん違いますかね」と言っていた。九月一三日の電話は、翌一四日にAと会う約束があったので、L弁護士の示談の意思をはっきり確認しておこうと考えて電話したものである。九月一七日の電話は、(一四日の予定が延びたため)前日の一六日にA組事務所でAと会い、Iと相談して記念品でも持って来てもらったらどうかと相手に言ったと話したところ、Aは手を横に振って笑い、「そんな不細工なことできまっかいな」と言い、金品は一切不要で、賠償等に関する書面の作成のみを求めるというその真意が確認できたことから、早速その旨をL弁護士に伝えたものである。この電話で初めて「確度の高い見通し」を回答することができた。九月二五日の電話は、L弁護士の方からかけてきたもので、前の協定書をそのまま利用する形での再協定を求めてきたものである、というものである。

(2) そこで、被告人の右供述を各電話の内容と対比することによってその信用性を検討すると、まず七月二一日の電話については、電話の内容は前認定のとおりであり、これに関する被告人の右供述は、Iから伝達を依頼された事項をNの書類作成に関する無権限の点に限定している部分を除いては、格別矛盾する点はない。

八月一日の電話については、電話の冒頭部分がカセットテープに収録されていないので、趣旨を明確には把握できないが、それでもこれに関する被告人の右供述は、L弁護士が電話の最初の部分で「えー、何とかできんもんかな」「工務店の社長曰くやで」「あんまり小さいとこを泣かさんように、僕を通じて言うてくれへんやろかと、こう言うねんな」と述べ、電話の最後の部分で「工務店がね、えー、先生に、そのー、電話してくれという依頼やねん」と述べていることと符合している。

八月九日の電話については、これに関する被告人の右供述は、被告人が電話の冒頭で「A組の件なんですが、結局どうも僕に任すという、担当……、担当せいということなんですよね」と述べ、電話の最後の部分で「確度の高い見通しを立てますので」と述べていることと符合している。八月一日から九日までの間にIから言われたとする話の内容も、八月九日の電話及びそれ以降の各電話の内容とは特に矛盾しない。

八月二七日の電話については、これに関する被告人の右供述は、被告人が電話の冒頭で「指針が出なくってですね」「記念品でもなんてなことを、直接じゃないんですけどね、秘書の人が言っておるんですが」「それにしても、ちょっと抽象的な話でしてね」と述べていること、二〇〇万円の件については、「南の奥さんが二百万受け取ったように聞いたんですけどね」と述べていることと符合している。

九月一〇日の電話については、これに関する被告人の右供述は、被告人が電話の冒頭で「実はですね、土曜日だったかな、あのー、ご本人に会いまして、それで『もう解決してくれ』と」「Aさんの言葉自体は、ですね、もうあのー、あと、そのー、こちらの建物に影響があったりなんかしたときには補償するというようなね。あのー、もう形でいいからと、こういう言葉なんです」と述べていること、Iの言動に関しては、「ちょっと後でまた一緒に飲んだんですよ、秘書の人と、Aさんの。『そういうふうにさっき、あのー、Aさんそう言うてたけども、そのー、額面どおりでよろしいんか』と俺聞いたんですね、僕。秘書の人に。『それ、何にもなしやったらそら具合悪いで』とこう言うんですよ」と述べていることと符合している。

九月一三日の電話については、この電話は、後記認定のとおり、九月一〇日の電話での被告人の姿勢を明らかに改めたもので、被告人が公判廷で供述するように単に「L弁護士の示談の意思をはっきり確認しておこうと考えて電話したもの」とは認め難く、被告人の右供述は信用することができない。

九月一七日の電話については、これに関する被告人の右供述は、被告人が電話の冒頭で「実はですね、昨日映画のことでAさんに会うたんですよ。そのときに真意を確かめたんですが、真意は、周りちょっと誤解してますわ。本当の真意もですね。もうあのー、建ててもらったらいいということなんですよ。あのー、ですからですね、あのー、形だけですね、形というのはあれですよ、あのー、ひびがいったりどうのこうのした時はというそんなんだけのことですよ。あのー、それ以外の物品とかそういうことじゃありませんのですわ」と述べていること符合している。

九月二五日の電話については、これに関する被告人の右供述は、L弁護士が電話で「せやからね、前ともう同しやから、それを現時点で確認するという、にしてくれたらええねんけどな」「ちょっと言うてみて」と述べていることと符合している。

九月二八日の電話及び一〇月二日の各電話が、協定書の再確認書を交わすことを前提に、その体裁や条項等の詰めを行い、一〇月三日に弁護士会館で会うことを約束したものであることは、右各電話の内容から明らかである。また、Aの秘書がIなる人物であることについては、被告人は、九月二八日の電話の中で「それとあのー、秘書、Iさんているんですが」「この人も一緒に立ち合わさしときたいんですが……」と述べ、これを明らかにしている。

(3) 以上によれば、被告人の右供述は、七月二一日の電話について右に指摘した点と、九月一三日に電話をした動機の点を除いて、各電話の内容とよく符合している。もとより、被告人が各電話の冒頭等で殊更に虚偽の経過や電話をかけた動機を話しているという可能性も想定され得ないものではないとしても、被告人とI及びAとの間の会話の存在並びに同人らの発言内容の点も含めて、そのような偽装工作をうかがわせるような具体性のある証拠資料はなく、被告人がL弁護士と一連の電話で会話をした経緯として述べるところは、基本的に信用できるものと認められる。

この点に関し、Iの平成三年三月一三日付検察官調書(検一一七、不同意部分を除く)には、「Tとの間でビル建設のことで問題が起こっていることは全く覚知していなかった」「九月ころ事務所に行くと、若い者が二〇〇万円の金が行き来していると話していたが、深く詮索せずに聞き流した」との記載があり、Aの同月一日付検察官調書(検一一六、不同意部分を除く)にも、「私は先生(被告人)からもEやNからも何も聞いていない」「工事のことで何かを指示するといったことも一切していない。協定書のことも全く聞かされておらず、こんなものが作成されているということは今回初めて知った」との記載があるが、いずれもIの関与の範囲を証拠上明白な一〇月三日の協定書の再確認書作成への立会いに殊更限定しようとする態度が顕著であり、検察官も論告で「見え透いた虚偽の供述をしている」と指摘するように、信用性の乏しいものといわざるを得ず、これらは右判断を左右し得るものではない。

4  テープ録音が欠落している部分の会話内容等

(1) 本件の証拠物として取り調べた録音テープ九本のうち、八月一日分、八月二七日分、九月二五日分及び一〇月三日分の計四本については、被告人とL弁護士の会話がその途中から録音されている。そのうち一〇月三日の電話は、その内容に照らし、本件公訴事実の成否に特に影響しないと認められるので、これを除外するとして、被告人は、残り三本分の会話について、録音されていない電話の冒頭部分には概略次のような会話があったと公判廷で供述している。すなわち、八月一日の電話の冒頭には、七月三〇日と三一日の二回にもわたって電話をいただきながら連絡できなかったことに対する被告人のお詫びと、L弁護士の、工務店が困っており、代理人にならないことは分かっているが、他にかけるところがないので被告人に電話した旨の断りの発言がある。八月二七日の電話の冒頭には、八月九日の電話で確度の高い見通しを立てると言ったが、A本人に会えておらず、確度の高い見通しが出ていないということを被告人が断っている発言がある。九月二五日の電話の冒頭には、L弁護士側の依頼者の意向として示談したい旨を述べているL弁護士の発言がある、というものである。

これを右3で検討したところ及び他の関係証拠に照らすと、概ね被告人が供述するような被告人とL弁護士の会話が交わされていたものと推測することができる。

ただし、L弁護士が九月三一日にも被告人の事務所に電話をした事実があったかどうかについては、L弁護士は公判廷でこれを否定しており、その裏付けとなるような客観性のある証拠資料もなく、いずれとも確定することはできない。この点について、「Tビル新築工事」と題するファックス通信文(写し、弁三五)には、Dによって「両者弁護士間の話合にて円満解決し(て)頂き、安心して工事が出来る状態にして頂きたい」「上記事L弁護士殿に七月三一日再依頼」と記載された部分があり、これによれば、Dが七月三一日にも重ねてL弁護士に円満解決を依頼した経過はうかがえるが、このことから、当然にL弁護士から被告人への電話も存在したものということはできない。

(2) また、被告人は、一〇月二日の電話については、録音されている二本の電話の間に、L弁護士が通常の騒音については受忍するという文言と工事の時間が延びることについても受忍するという文言の付加を求めてきた第三の電話が存在すると公判廷で供述するところ、これについては、L弁護士が、テープ解読報告書一〇月二日分(二)の電話において、「あれあきませんか」「まあ多少こっちのほうが心配するのはな、あのー普通の音はするはな」と述べており、騒音にかかわる事項を再確認書に明記するよう求めていた様子がうかがわれるところ、同日分(一)の電話にはこれに対応する会話部分がないことからして、右(二)の電話の前にL弁護士の方から被告人にかけたと推認される第三の電話が存在していたことが認められる。ただし、工事の時間延長の点に関しては、L弁護士は右(二)の電話で「ほんでね、大体、工事人というのは八時に集まるねんて。これはちょっとどうやろ、了解しておいてもらわないかんけどな」と言っているのであって、むしろ時間の延長ではなく、職人が早朝から集合して工事現場が騒がしくなることについての了解をL弁護士がこの(二)の電話で初めて求めたものと理解するのが自然であり、これに反する被告人の右供述部分は、右(二)の電話の趣旨を誤解しているものと認められる。

(3) ところで、鑑定人S作成の鑑定書及び証人Sに対する当裁判所の証人尋問調書によれば、八月二七日の電話を録音した録音テープの一本(平成三年押第二二七号の3)には、録音編集(ダビング編集)又はスイッチによる録音時の間欠録音の方法によって操作が加えられた箇所が約五か所検出されたことから(別添のテープ解読報告書八月二七日分の本文中に♯1から♯5の符合を付した箇所)、鑑定資料のマイクロカセットの内容は鑑定資料の留守番電話装置以外に一台以上の録音機を用いて編集されたものと推定されている。同鑑定は、鑑定資料の指定された部分を鑑定資料の留守番電話装置により再生し、実時間周波数分析を行い、その結果をカソードレイチューブにて監視すると同時に、熟聴し、鑑定箇所を探索し、続いて同箇所について周波数分析及び波形表示を行い、その結果をパターンに表示するという鑑定方法によるもので、右の鑑定結果は、併せて実施された補助実験において、鑑定資料のマイクロカセットテープの録音時には、鑑定資料の留守番電話装置AT-500にはないAGC機能(録音中に入力音声のレベルがその録音機特有の設定された範囲のレベルより降下した際に、自動的に録音レベルを調整して音声をはっきりと録音し、入力音声のレベルが上昇すると、自動的に録音レベルを下げて、その入力音声のレベルに適切なレベルにあわせる機能)が働いていたと推測されると分析され、また、鑑定資料のマイクロカセットテープは、鑑定資料の留守番電話装置AT-500で録音した場合よりテープの走行速度がおよそ六・八パーセント速い状態で録音されたものであることが推測されると分析されることの二点からも裏付けられる、とされている。

これによれば、本件の証拠物である八月二七日分の右録音テープが、いわゆるオリジナルテープでないだけでなく、会話内容そのものについても、冒頭部分のほか五か所で欠落を生じている可能性が否定できない。

この点について、検察官は、論告において、L弁護士と警察官が繰り返しテープを再生し、ダビングしたりする過程で合計五回程度誤って録音ボタンを押すことによりパルス音が入ったに過ぎないと考えられる旨主張している。しかしながら、本件の最重要証拠であることが明らかな録音テープの原本を扱う過程で五回も誤操作をするということ自体にわかに予想し難いうえ、パルスが記録されている無録音部分の間隔は短いもので〇・一〇九秒、最も長いものでも〇・四四五秒であり、仮に誤操作があったとしても、その全部についてこのような極めて短時間のうちにボタンを元に戻すというのは不自然であるし、また、録音ボタンを操作して録音が開始されたとすれば、周囲の雑音(ノイズ)が検出されてしかるべきところ、右の五か所は全くの無録音状態となっているものである。確かに、検察官も指摘するように、八月二七日分の右録音テープには録音可能な最後の部分まで会話による音声が入っているが、これは、テープ自体の長さを短くしたり、あるいは八月二七日分の二本目(あるいは裏面)の録音テープの最初の録音部分を一本目の最後の会話につないで編集する等の方法で最後に空白部分が生じないよう処理することも十分可能と思われ、検察官の右主張は採用することができない。

もっとも、そうであるとしても、右の五か所において会話そのものが大きく断絶しているようなところはなく、少なくとも本件公訴事実の存否についての実体判断に影響を及ぼすほどの重大な証拠の瑕疵とは認められないので、この問題についてはこれ以上は立ち入らない。

5  以上の事実経過を踏まえて、以下、被告人とE及びNらとの共謀関係の有無並びに被告人による金品要求行為の有無について、順次検討する。

二  共謀関係について

1  証人 K′及び証人Qの各証言の信用性等について

(1) 検察官は、論告において、被告人とE及びNとの共謀を認定するための間接事実として、平成元年一二月ころから翌平成二年一月一五日ころまでの間に二回ほど被告人がA組組員とT千日前店で飲食した事実と、同年七月一四日昼ころと同月二一日午前一一時ころに被告人がA組事務所を訪れた事実を挙げ、前者については証人 K′の公判廷での供述(以下「 K′証言」という)を、後者については証人Qの公判廷での供述(以下「Q証言」という)をそれぞれ援用しているので、これら各証言の信用性及びこれに関連する被告人のアリバイ主張の当否について検討する。

(2) K′証言の要旨は「被告人が平成元年一二月か平成二年一月ころ(一月中旬に千日前店を閉める前)の夕方ころに二度ほどA組の組員五、六人と店に来て二階で食事をした」というもので、被告人を特定した経緯については、警察で「写真をいっぱい」見せられて、A組事務所に直接挨拶に行ったときの相手の組員の特定を求められた際に「ああこの人もうちの店に来てましたよ」「このやくざの人も来てましたよ」と言ったところ、警察官からその人物はやくざではなく甲野弁護士であると告げられてびっくりした記憶がある、というものである。

このように、 K′証言はかなり具体的で、迫真的でもあるが、 K′証人がA組や被告人に足してかなり強い敵意を抱いていることは K′証言全体からうかがえるところであり、その信用性の判断は慎重を期すべきところ、被告人の特定は写真のみによるもので、いわゆるラインナップや直面割りに比して元々信頼性が劣ること、多数の飲食客の中でわずか二回ほどしか来店していない客の顔を覚えていたというのも、それが暴力団員の集団であったとはいえ、特段の出来事とでも結びつかない限りにわかに首肯できないようにも思われ、一緒に来ていたという他の五、六人の組員についてはいずれも特定には至らなかったのに、ひとり被告人のみが特定されたというのも些か不自然であること、 K′の平成二年九月二八日付警察官調書には「この男の人は、私どもの焼き肉店にもA組員を連れ、焼き肉を食べに来たことも何度もある人で、いつも背広にネクタイ姿という服装をしていました」との供述記載がある模様であり、 K′証言とは来店の回数の点で大きく食い違っていること等に照らすと、 K′証言をそのまま信用することは躊躇せざるを得ない(なお、仮に K′証言のとおりの事実が認められるとしても、本件共謀との間の関連性は極めて薄く、これを共謀成立を推認させる間接事実として用いることは相当でない)。

(3) 次に、Q証言の要旨は「七月一四日に被告人が黒っぽい車で堺筋から相合橋筋まで来て、そこで車を降り、たくさんの若い衆(七、八人)に迎えられてA組事務所に入るのを見た」「二一日にも被告人が相合橋筋から歩いてきて同様にA組事務所に入った」「眼鏡をかけた紳士風の人であった」「ただし、被告人が事務所から出て行くところは見ていない」というもので、被告人を見た時刻については、一四日は「昼から」「一二時過ぎ」「休憩の前あたり」「昼ごろ」であり、二一日は「昼から」「二時かそこら」「(警察や検察庁で午前一一時か昼前ころと述べているのであれば)その言うてることが間違いないと思いますけど」「一二時から一時間休憩があるので、記憶では一時以降」であったとしている。また、被告人を特定した経緯については「警察官から喫茶店でA組関係者と思われる写真一〇枚くらい(あるいは七、八枚)を順番に見せられて確認を求められ、A、E、N及び被告人の四名については見覚えがあると答えた」と供述している。

Qは警備会社に勤務する警備員であり、たまたま本件工事現場で警備の業務に従事していたもので、本件の関係者らとは特に利害関係がないことから、その供述の真摯性には格別問題はなく、Q証言は七月一四日とその一週間後の二一日に同一人物がA組事務所に入るのを見たという限度では十分信用できるものであるが、その人物と被告人との同一性の点については、疑義がないとはいえない。すなわち、Qは、本件工事現場の入り口に立ってA組事務所に出入りする人物を目撃したというものであるところ、その人物が被告人であることを目撃当時から知っていたというのではなく、写真を示されて人物の特定を求められ、それが被告人であることは警察官から聞いたというもので、その識別の正確性にはやはり写真面割りの性質に由来する限界があるうえ、Qは、公判廷で検察官の主尋問の中で、事務所に入っていった人物と被告人との同一性の確認を求められた際、被告人を見て、「写真となんかえらい違うような感じで」「見た感じがね」と言い、弁護人の反対尋問に対しても「なんか、そのときは、甲野さんもようけ肥えてはったような感じしますけどね。今見たらほっそりしてはるのでね」と言い、さらに「だから、やっぱり違うように見えますか」との弁護人の質問に対しては、「写真とはね」と答えるなど、現場で実際に見た人物と法廷の被告人との同一性ではなく、写真で見た被告人と法廷の被告人との同一性にこだわり、「えらい違うような感じ」と述べているのであって、このことからすると、Qが被告人を目撃したとする際の記憶が確たるものではなかったのではないかとの疑いを否定できない。

検察官は、論告において「Qが組長(A)の来訪事実も証言し、組長と被告人の区別がついていたこと」をQ証言の信用性を肯定すべき論拠として援用している。この点に関するQ証言の要旨は「七月一八日の水曜日に組長が相合橋の方から大勢の組員に迎えられてやって来た。私の方に寄って来て、『これが建築やってるんか』と聞いたので、『はい建築です』と答えたら、何も言わずにずっと現場を見て、事務所に入った」「その人が組長と分かったのは現場監督のOから水曜日には組長が来ると聞いていたからである」「組長は眼鏡をかけた五〇歳くらいの紳士風の人で、髪の毛は普通で、七、三に分けていた」というものである。しかし、Qは捜査段階では「組長は長髪で、背広姿の一見してやくざの親分風の人であった」と述べていた模様であり、公判廷と捜査段階でAの容貌について供述内容に食い違いが生じているところ、Qの平成二年一〇月一七日付警察官調書(抄本、検一九七)の末尾に添付されたAの面割写真(写真番号3、ただし、同写真はかなり古い時期のものと推測される)によると、同人の髪の毛はむしろ短髪であり、被告人の公判廷での供述によっても、Aは長髪ではなく、一見してやくざ風ということもないとされているのであって、これを覆すに足りる証拠がないことからすると、Qが目撃した組長たる人物とAとの同一性にも疑義があること、また、それがAであるとするなら、解体工事も終わり、新築のための基礎工事が既に始まっている七月一八日の時点で工事現場の警備員に「これが建築やってるんか」と聞くというのも奇妙であること等に照らすと、Qが見たという人物がA以外の幹部組員であった可能性も否定できず、検察官の右主張はにわかに左袒することができない。

(4) これに対し、被告人は、公判廷において、 K′証言にいう飲食の事実を激しく否認するとともに、七月一四日と二一日にA組事務所を訪れた事実も否定し、七月一四日は「東京に行く予定がキャンセルになったことから、Uに対する暴行被告事件の示談交渉のために動いていた。同事件の被害者Rの実家は門真にあり、自ら白色マーク[2]を運転して事務所を出発し、約四〇分かかって正午か正午過ぎに同人の実家に着いた。Rは不在であったが、午後一時まではまだ帰ってくる可能性があると思って車の中で一時間くらい待っていた」旨、また、七月二一日は「午前九時半ころに南警察署でJという被疑者と接見し、続いて九時五五分に同署の五階に置かれている大阪府警本部捜査四課山本班の帳場に立ち寄った後、甲野法律事務所に戻り、L弁護士に電話した」旨供述している。

そこで右アリバイ供述の信用性について検討するのに、前掲の関係各証拠並びに大阪府南警察署長作成の捜査関係事項照会回答書(検三七)、主任弁護人下村忠利作成の平成五年六月二五日付及び平成六年七月一二日付各報告書(弁三八、五〇)によれば、七月一四日については、被告人の訟廷日誌(平成二年版、平成三年二月二三日に警察官が押収したもの)の七月一三日欄から一五日欄にかけて矢印が引かれ「東京」と記載されているが、七月一四日欄には「U」という記載もあり、被告人が山口組系暴力団員であるUに対する暴行被告事件(当庁平成二年(わ)第一一八五号)の私選弁護人として平成二年七月一八日午後一時三〇分の公判期日の変更を申請した際の疎明資料である被告人作成の同月一六日付報告書中には「(被害者であるRに対し)七月一四日朝九時から何度も電話をしたが不在であり誰も電話口にでなかった。やむなく昼過ぎ再び実家を訪れたが不在であった」との記載があり、これらによれば、被告人の右供述は客観性のある証拠で裏付けられているといえる。Q証言は、一四日に被告人を見たという時刻がやや曖昧ではあるものの、午前一二時から午後一時までの昼の休憩時間と関連づけて目撃状況を供述していることからして、被告人らしき人物が現れたのは一二時前ころから一時過ぎまでというほぼ昼の休憩時間に接着した時間帯になると考えられるところ、門真を午後一時過ぎに出発してA組事務所に直行したとしても、午後二時近くにはなるものと考えられることからすると、被告人にアリバイが成立している可能性を否定することは困難である。

次に、七月二一日については、右掲記の各証拠によれば、被告人は、同日午前九時三〇分から九時三五分までの五分間、南警察署留置場内の接見室でA組幹部のJと接見していること、午前九時五五分にはJが関係する事件で同署五階に置かれていた捜査本部に赴いていることが認められ、その限度では被告人の右供述と客観証拠とが符合している。しかし、捜査本部を出て以降の行動については被告人の供述があるのみで、他にこれに関連する証拠資料はなく、被告人が昼前ころに甲野法律事務所からL弁護士に電話するまでの間にA組事務所に立ち寄ることも、南警察署が大阪市中央区東心斎橋筋一丁目五番に所在し、A組事務所までの距離がせいぜい五〇〇メートル程度であること(これは当裁判所に顕著な事実である)からすると十分可能と思われ、仮にQが捜査段階で供述していた午前一一時ころという目撃時刻が正しいとすると、(事務所から出て行くところは見ていないとQが述べているという事情はあるにしても)Q証言とも合致する結果となるものであって、七月二一日に関するアリバイ主張についてはその裏付けが十分とはいえない。

(5) 以上によれば、 K′証言の信用性に疑義のあることは前記のとおりであり、また、Q証言については、証言自体の問題点に加え、右に検討した七月一四日のアリバイ成立の可能性も考慮すると、Q証言が七月一四日に見た人物と七月二一日見た人物とが同一人物であるとする点では動かない以上、Qが見たという人物が被告人ではなかった可能性も否定し難く、七月一四日と七月二一日に被告人がA組事務所を訪れた事実を認めることはできない。

検察官は、論告において、七月一四日のアリバイに関し、「仮に当日示談交渉に走っていたとしても、少し時間がずれればQの証言する組事務所訪問と両立するのであり、時間に関する客観的裏付けはない」と主張するのであるが、刑事被告事件の弁護人が被害者と直接面談して示談交渉すべく公判期日の四日前にわざわざ門真まで赴きながら短時間で引き返し、Q証言にいう時間帯にA組事務所に現れるというのには些か無理があるように思われ、検察官の右主張は牽強付会の論理であるとの感を免れない。

2  七月三〇日の被告人の行動について

(1) 前記認定のとおり、平成二年七月三〇日午後二時三〇分ころNが本件工事現場に来て工事の中止を求めた際に「さっきうちの弁護士も来とったが、工事をやらしてよいとは言うてなかった」などと発言した事実が認められるところ、検察官は、これを被告人とE及びNとの共謀成立の間接事実として援用している。この点について、被告人は、公判廷において「七月二八日と二九日は自分が世話役をしている子供会のキャンプに参加し、二九日の夜は山科の自宅で寝て、翌三〇日は朝早く山科から京都に出て、新幹線で東京に向かった。東京ではある歌手の独立問題でプロダクションの社長と話し、妻秋子を見舞うなどして、三一日に帰宅した。七月三〇日を含め、七月及び八月にA組事務所に行ったことはない」と供述している。

そこで、Nがいうところの弁護士が被告人であって、かつ被告人が七月三〇日にA組事務所に現れた事実があるのかどうかを検討するのに、右1(4)に掲記した関係各証拠及び司法警察職員作成の平成三年二月二七日付捜査報告書(検三八)によれば、被告人の訟廷日誌(平成二年版)の七月二八日及び二九日の欄にはそれぞれ「キャンプ」という記載があり、続く三〇日の欄には乱雑ではあるが三一日の欄にかけて矢印が引かれ、矢印に沿って「東京へ行く」との記載がなされていることが認められ、これによれば、被告人の右供述のうち少なくとも七月三〇日にはA組事務所を訪れていないとする部分については裏付けがなされているものと認められ、Nの右発言が被告人を指称するものとすれば、Nはあえて虚言を弄したものと推測される。

(2) もっとも、Dは、別件の公判廷では、弁護士が来ていたのは「さっき」ではなく「この間」であるとNから聞いたとも供述しているところ、「さっき」と「この間」とでは大きく事実関係を異にするもので、Dの別件公判廷における右供述にたやすく信を措くことはできないが、仮に「この間」というDの右供述を前提にしても、七月三〇日を溯る数日間の内に被告人がA組事務所を訪れたことを逆に裏付けるに足りる確たる資料証拠も存在しない。

3  本件協定書の内容及び本件工事に対する妨害状況に関する被告人の認識について

(1) 検察官は、論告において「被告人は工事がストップしていることあるいは協定書の中身などを知った上で交渉している」旨主張している。

この点については、前記認定のとおり、被告人は七月二一日の電話でL弁護士に「協定書は、Nという者が勝手にサインしたらしい」と言っており、また、テープ解読報告書八月二七日分によれば、被告人はL弁護士の「それで、そのー、僕が仲介代理に入るという協定書があるやろ」との発言に「はい」と答え、さらにテープ解読報告書九月一〇日分によれば、被告人はL弁護士の「それはもう協定書できてるでしょう」との発言に「あれはちょっと簡単なような気が……」と答えていることからすれば、七月二一日の時点では本件協定書の存在を認識しており、遅くとも九月一〇日の時点では本件協定書の概要を把握していたものと認められる。被告人は、公判廷で「一〇月二日に初めて協定書を読んだ。九月一〇日にはさっと斜め読みをしただけである」「協定書が交わされた時期を知ったのは一〇月二日である」と述べているが、これが右認定に反する限度では信用することができない。ただし、テープ解読報告書一〇月二日分(一)によると、被告人は「D工務店いうのは、変わるんじゃないですか?」「あっ、M工務店ではないんですか?」などと明らかに事実を誤認して述べているのであって、これによれば、本件協定書が締結された経緯や請負契約の内容等について被告人には不確かな知識しかなかった様子がうかがえる。

(2) 次に、工事妨害についての被告人の認識の有無及びその程度であるが、テープ解読報告書八月一日分によれば、L弁護士の「どっかから漏れてきまっせ」「この問題は。うん」「完全には伏せられへんと思いますわ」「いつまでも工事がストップしてたりね」「そのー、更地になっているとね」との発言に、被告人は「ええ、ええ、ええ」「そうでしょうね」と答えており、L弁護士の「それで、な、途中で言うて来るねんて、な。もうここまで、ここまで、ここまでゆうて」という発言もあること、テープ解読報告書八月二七日分によれば、L弁護士の「それがまああのー、解体……、解体だけということを言われてきて……」「工事がストップしたやろ」「建物を建てるというのは、まあまた別問題やと」との発言に、被告人は「はい、そうです」「はい、そうですね」と答えていることが認められ、これらによれば、被告人はT千日前店の解体工事の終了後、新建物の着工前に工事がA組側の働きかけによって中断している事実を認識していたものと認められ、これに反する被告人の公判廷での供述、すなわち「工事が着工中にA組組員によって止められているということは知らなかった」「工事は、協定書の作成前だから、着工前という印象であった」との供述はにわかに信用することができない。

しかしながら、テープ解読報告書の全部を子細に検討しても、工事が中断している原因が果してA組組員らの妨害行為の結果であるのかどうか、組員らの妨害によるとしてその主体が誰であるのか、妨害行為の態様がいかなるものであったか等の具体的な事情については、被告人がL弁護士と電話で交わした会話中には全く現れておらず、被告人が七月二〇日以降のE及びNらの言動や本件工事の進捗状況等を実際にどの程度認識していたかについて、これを確定するに足りる確かな証拠資料はない。

4  七月二一日の電話の意味等について

(1) 被告人が本件でL弁護士に最初に電話したのが平成二年七月二一日であり、EがDの前に最初に現れ、Nと共に本件工事の中止を要求してきたのがその前日の七月二〇日であることからすると、被告人とEの間に、本件工事をめぐって直接か間接かはともかくとして、何らかの意思の連絡があったのではないかとの嫌疑が生じるのは当然のことともいえる。

しかるところ、本件の証拠関係からすれば、捜査機関が押収した八月一日分以降の電話の録音テープ計四本の中でも、被告人は秘書のIやA本人が本件に介在していることをほぼ明らかにしたうえ、その意向を問題にしているのであるから、本件の解明のためには、I及びAの本件への関与の有無及びその程度を明らかにすることが重要であると思料されるところ、I及びAからは前記のように本件への関与を否認する供述しか引き出せておらず、また、E、Nも検察官に対する各供述調書(Eの平成三年五月一六日付検察官調書《検一四三》、Nの同年七月一四日付及び同月一九日付各検察官調書《検一五四、一五六》)中で、それぞれ被告人との間で意思の疎通があった事実を否認する供述をしているのであって、七月二〇日のE及びNの言動と被告人の七月二一日の電話を具体的に関連づけるに足りる証拠は見当たらない。

してみると、EとNの間では恐喝の謀議が成立していたものと仮定するとしても、それと被告人との結びつきの面においては、依然として抽象的な憶測の域にとどまっているものといわざるを得ない。

(2) これに関連して、検察官は、論告において「何故、Nの立場も確認せず、協定書の現物も見ず、単にAの伝言を弁護士が伝える必要があるのか、Iにしても、何故それを被告人を通じて言ってもらわなければならないのか、不可解極まりない」と主張するが、代理人には就任しないことを断ったうえで単に依頼者からの伝言を伝えるということも、弁護士業務としてあり得ないものではないように思われ、K及びDの代理人であることが当初から明らかなL弁護士においてすら一度も本件工事現場には足を運んでいないこと(このことはL弁護士自身が公判廷における証言中で自認している)との比較においても、検察官の右主張にはにわかに左袒することができない。また、検察官は、Nには「事務局長としてAを代理する権限があると明らかに認められる」とも主張するが、暴力団の「事務局長」なる肩書を有する者の私法上の権限の範囲がどの程度のものであるのかそもそも不明であり、少なくとも本件においては、前記認定のごとく、Bが K′に回答した双方弁護士を立てて協定書を交わすという方式と、Nが自ら署名した本件協定書の形式との間に齟齬があること自体は否定できず、「Nという者が勝手にサインした」という主張が法的に容認され得る余地があるか否かは別にして、弁護士が依頼者本人の意思を協定書作成に関与した相手方弁護士に伝えることが、およそ必要性のない行為で弁護士業務のあり方から明らかに逸脱しているとまで断ずるのも困難というほかない。

5  小括

以上検討したところによれば、検察官が求釈明に応じて共謀成立の根拠として主張した三点のうち、〈2〉の「A組事務所に被告人が出入りしていた」事実については、共謀が成立したとされる七月二〇日又は二一日ころあるいはその前後の被告人の行為としては、これを認めることができず、また、〈1〉の「E、Nが工事の妨害をすることを承知していた」事実についても、被告人がE及びNの七月二〇日おける言動の存在及びその内容を認識していたことを認めるに足りる証拠がないことに帰する。〈3〉の「被告人自身かつて山口組の顧問弁護士であった」事実はそのとおり認められるが、この事実と本件における共謀の成立とは関連性が希薄であり、これのみをもって共謀の成否を云々することは相当ではない。

なお、検察官は、論告において、被告人がBの代理人となって施主側に圧力を加え、建築を断念させたことがあったと主張し、これを共謀成立の間接事実の一つとして挙げているが、検察官が引用するVの平成三年三月四日付検察官調書(検一一四)によっても、被告人から建物の図面を求められ、設計図を被告人宛に送付したこと、被告人から電話で「一度Vさんの方からAさんに電話をし、工事のことを説明された方がよいのとちがいますか」などと言われたことについては述べられているが、建替え工事の着工を断念した原因は隣に居住する加賀という人の了解が得られなかったためであるとされているのであって、被告人が施主側に圧力を加えて建築を断念させた事実をうかがわせるような証拠資料はない。

もとより、前にも少し触れたように、七月二〇日又は二一日の時点で被告人とE及びNとの間に共謀が成立しており、しかも共謀の内容として七月三〇日のNらによる工事妨害も織り込み済みであるというような事態を先に想定するとすれば、被告人による七月二一日の電話の意味合い及びそれ以降の各電話の位置づけも当然異なるものとなり得るが、繰り返し述べるように、これも抽象的な可能性を指摘できる程度にとどまらざるを得ないものである。

そうだとすると、共謀に関する被告人の公判廷での供述内容を全面的に信用するものではないにしても、被告人が代理人には就かない旨を明言しており、しかも七月三〇日にL弁護士から電話があるまで被告人の側からは何ら金品要求等の働きかけをしていないという事情は、やはり恐喝についての事前共謀の存在とは基本的に相容れない反対事実として評価せざるを得ず、さらに、謀議の成立を前提とすると、七月二一日以降の各電話における被告人の発言がもっと慎重であってしかるべきと思われるのに、後にも述べるように、少なくとも公訴事実に掲げられている八月二七日までの電話における被告人の発言はむしろ無防備、無警戒なものと評価できることに徴すると、検察官が主張するような間接事実の積み重ねをもって謀議の存在を推認することはできず、被告人とE及びNらA組組員との間の恐喝についての共謀の成立はこれを認めることができない。

三  金品要求行為について

1  七月二一日から八月二七日までの電話における被告人の発言について

本件公訴事実のうち被告人が実行を分担したとされる部分は、七月二一日から八月二七日までの四回の電話における被告人の発言に基づいて構成されている。そこで、右四回の電話での被告人の発言が恐喝罪における金品要求行為といえるかどうかについて順次検討する。

(1) 七月二一日の電話の内容は、前記認定のとおりであり、Aが本件工事を承諾した事実がないこと、本件協定書はNが勝手に締結したらしいことをL弁護士に伝えたもので、金品の要求は含まれていない。

(2) 八月一日の電話は、被告人の不在中にL弁護士からかかってきた電話に対する返電であって、会話はL弁護士の方が主導的に進めており、七月二一日の電話における被告人の発言を事実上確認するとともに、本件工事に対するA組側の意図をL弁護士の方が先回りして述べ、それについての被告人の同意あるいは確認を得ようと努めている点に特色がある。前者の点については既に述べたところであるので、ここでは後者について検討するのに、L弁護士は、A組による工事妨害の点について、「今、南で何か聞いてみると、まあ大体、相場五百万、A組に出さんとビルは建たんらしいなあ」「Aとしては結局、あれをまあ、自分とこが買いたいちゅうようなニュースも入ってんねん」「それであればやな、たとえそのー、相場の五百万積んでも、妨害しよるわな」と言い、また、暴力団が弁護士をうまく利用するとの点についても、「弁護士同士ということになると、恐喝も何もないという感じになってくるわな」「組としてはそういうことが狙いやと思うけどなあ」「そういう使い方を、もうまあ、そのAぐらいになるとね、やっぱりそのー、頭のええのがおってね」と言って、被告人の意向を探り、同意を求めているが、これに対し、被告人は「そらまあ……」「うーん、う、うーん」とか、「ああ、かなわんな……」「はあ、はあ、はあ」などと反応するのみで、言葉に困り、具体的な返答ができない状態のままとなっている。被告人がこのような応答しかできなかったのは、咄嗟のことでもあり、また被告人としてはそのようなことまでは思ってもいなかったからであろうと考えられる。

なお、L弁護士は、工務店が完工までの損害の全部を負担する契約を結んでいることを前提に、「この工務店つぶれますわな、このままいくと」「開店が一か月遅れたら何千万の利益やとか言われたら、これどうしょうもないわな」などと繰り返し述べている。しかし、本件工事の請負契約書(平成三年押第二二七号の14)その他の各証拠を検討しても、本件工事の請負契約は、前記のとおり四会連合協定工事請負契約約款にそのまま依拠したもので、工事遅延に伴う休業損害を含む全損害についての賠償義務をD工務店が施主であるTに対し負担する旨の契約を結んだ事実は認められず、L弁護士は被告人に対し少なくとも客観的には誤った事実を伝えていたものである。被告人は「しかし、えらいとこを請けたものですね。これはもう、A組とかそんな事関係なくですけど、一般的な感じなんですけど」「立派……そらもう大したものだと思いますわ、請けられたというのは」「知らなかったんじゃないですか」とか、「施主さんもちょっと、業者さんでは無理ですよこれ……ような気がしますね」「施主さんは、業者に任せたからそっちでやってくれ、それは無茶な話だという感じがしますね」などと発言しているが、これらはいずれも、暴力団事務所の隣の事業用建物の建て替え工事を請け負った業者が、工事遅延による逸失利益を含む全損害について賠償責任を負担しているということに対する被告人の驚きを感想として述べたものである。したがって、被告人の右発言をして、検察官が論告において主張するように「A組の力を誇示し、工事の再開は難しいことを示唆した」ものと評することはできない。

八月一日の電話の中で、被告人の方から積極的に言及しているのは、施主の協力による解決をしてはどうかという点であり、電話の最後の部分では「あのー、そうやなあ、僕はあんまり言いたくないけど、うーん、施主さんの協力を得て、思い切った解決をされたらどうかなという感じがちらっとしているんですけどね」「工務店さんばかり悩んでいても、絶対、僕は難しいような気がしますね」と述べているが、その前には「(妨害禁止の仮処分について)永遠に隣だったら、あんまりそんなんもどうかなという感じしますけどねえ」「友好関係を持ってやられるのが一番ええと、ものすごい抽象的な言い方なんだけども」と述べた部分もあり、被告人が示唆する施主の協力を得た解決方法というものも、極めて抽象的である。さらに、被告人は、L弁護士が「まあ僕も、そのー、直接話して、そんなん、脅かされるのもかなわんしな」「この件でもA本人は出てけえへんらしいよ」と言ったのに対し、「いや、ありませんわ」「まずありませんね」「ええ、それはないと思いますわ」と答えており、むしろL弁護士なり、施主なりが直接Aと面談して解決の糸口を探るように促していることがうかがえる。

被告人の発言のうちで、金品要求に関連すると考えられるものとしては、右の「施主さんの協力を得て、思い切った解決をされたらどうかな」との発言及びその前の「うーん、その何とか料という話になったら、多分きついことを言うんと違います?」「例えば、そのー、お金の解決だったら、ちらっと機会があれば言ってみますけどね、あんまり期待出来ないんですよねえ」との各発言があり、またL弁護士が「相場が五百万とこう言ってるけどね、あのー、そんな程度では、あのー、つきそうにないなあ」と述べたのに対し、「ないですね」と相槌を打ち、L弁護士の「せやけど、穏便な話しいうたらやね、ほかにあれへんわな」との発言に、「あれへんですね。もう全然ないですね」と相槌を打った各発言があるが、いずれも視点が第三者的であり、具体性のある金品の要求行為と目されるものではない。

被告人は、公判廷において、八月一日の電話はL弁護士の方から「建築工事に伴う近隣紛争の示談として、五〇〇万円でAに口添えをしてもらいたいということを言ってきた電話」であると供述し、弁護人も弁論でこれに沿う主張をしているところ、これを民事紛争解決のための「示談交渉」と評価するのが適切であるかどうかはともかくとして、L弁護士が電話の最初の部分で「今、南で何か聞いてみると、まあ大体、相場五百万、A組に出さんとビルが建たんらしいなあ」「僕の弁護士としての立場としてはね」「こっちから、そのー、金を渡すちゅうようなことは、そのー、見識上言えないんだけどね」などと述べ、電話の後半部分でも「その工務店もな」「とにかく穏便な話で……」「へへ、せやけど、穏便な話しいうたらやね、ほかにあれへんわな」と述べていることからして、「もう金の話はいかんと、弁護士同士でいかんということをね、それを言いたかった」とするL証言は、まことに奇妙な弁解というほかなく、これを工務店側が五〇〇万円を提供することで解決したいとの提案をL弁護士が婉曲に示したものと被告人が理解したとしても、なお無理からぬものがあるように思われる。

(3) 八月九日の電話は、被告人が出先からかけた電話で、自らが代理人として関与することになったことを明らかにしたうえ、施主又は工務店に出費の意思があるかどうかをL弁護士に確認しようとしたものである。このことは、被告人が「それで、えー、あのー、どうもご近所のことでそんな金品をもらうというのも聞こえが悪いというようなことも言っているというんですが、なかなかそういうこともいかんだろうと思うんですがな、いざ解決となれば。先生、端的な聞き方をしますが、施主さんなり、そのー、業者さんなりは出費される意思はありますかねえ」「五百万というふうに聞いたと、こういうことですわね」「ほんで、お金というのもねー、どうかと思うんですよねぇー」「何か記念の品を贈るとかいうようなことはできませんかしら?」と述べていることから明らかといえる。これに対し、L弁護士は「それはあのー、まだ聞いてないけどね」と言いながらも、「相場が五百万になっているというふうなほうに言うとるなあ」「ただね、まあ僕の方からやな、そのー、言うのは、まあ弁護士の立場上な……」「提供ということも不見識やろ」「そこが難しいとこですよ、わなぁ」と述べ、八月一日の電話におけると同様の対応をしている。

被告人が電話の冒頭で「A組の件なんですが、結局どうも僕に任すという、担当……、担当せいということなんですよね。困ったものですね」「まあそういうことなんですわ」と発言したことについて、L証言は、「私としては普通の弁護士が依頼者に言われる言葉ではないと考えた。命令口調でやくざ的な響きをもつ言葉である」としているが、直ちにそのようにいえるか疑問であり、被告人の語調等からすると、単に消極的な受任であることを述べているに過ぎないものと解するのが自然である。

ところで、右の「記念品」の意味について、被告人は、公判廷において「これはもう少額のもんですよ、二万とか三万とか」と供述し、L証言も「その言葉を聞いて一瞬ホッとした」としてはいるが、記念品の意味をそのように限定する趣旨の被告人の発言は会話中にはなく、後述する八月二七日以降の会話に現れた記念品の意味との兼ね合いにおいても、被告人の右供述はにわかに信用することができない。

検察官は、論告において「この段階で、被告人の側から一方的に金品支払いの要求を始めたものと認められる」と主張するが、被告人は電話の後半部分で「ある程度どうすれば、そのー、解決するか……」「本音がようわからないんですわ、僕も。まあ、不動産もし手に入ったら欲しいというのは、これはわかるんですが」「あのー、先生、ちょっとですね、えー、確度の高い見通しを立てますので」「また連絡します」と述べているのであって、これからすれば、具体的な提案は将来に留保されたものと見るのが素直であり、いまだ金品の要求行為が開始されたものということはできない。

(4) 八月二七日の電話は、被告人の側ではいまだ具体的な指針が出ておらず、確度の高い見通しが立っていないことを前提に、記念品提供の話を再度L弁護士にして、その感触をつかもうとした電話であるといえる。このことは、被告人が電話の冒頭で「指針が出なくってですね」「あのー、現金をもらったりすると、そんな、近所のことだし、具合悪いということらしいですけど、かといって、何かあのー、そのー、記念品でもなんてなことを、直接じゃないんですけどね、秘書の人が言っておるんですが」「それにしても、ちょっと抽象的な話でしてね」と述べていることから明らかである。被告人が把握しているAの意向が秘書を介した間接的なもので、しかも抽象的であることは、右の発言に加え、L弁護士に(迷惑料は済んでいるのではないかと)「どないかなあ、その点、どない言うてはんのかいな」と聞かれて、「はっきりしたあれはないんですが、感触としてはですね、えー、済んでいると解釈してないと思いますわ」と答え、L弁護士に「それはAさんの秘書が言うとるのかいな」と聞かれて、「そうです、そうです」と答え、L弁護士の「これは、組長は全然もう先生にも接触してけえへんのかいな」との質問に対しても、「このこと、やっぱりね、えー、間接的なんですよ」と答えていることからも認められる。

ここで問題となるのは「記念品」の意味である。被告人は、公判廷で「八月九日の記念品とは少しニュアンスが違い、その前の一〇〇万円という話に若干引きずられてはいるが、いくらぐらいというのは考えていない」旨供述しているが、八月二七日の電話では、L弁護士の「金(かね)なんかはもらうわけにいかんいうのやったら、金(かね)以外には、女を持っていくかなんか……」との問いかけに、「記念品でも持っていったらどうかと言うとるんやけども」と答え、さらに続いて「まあ、それにしても、出費の要ることですからね」とわざわざ述べていることからすれば、ここにいう記念品についても相当高額のものを予定しているものと考えざるを得ず、これに反する限度では被告人の右供述は信用することができない。

ところで、本件公訴事実によれば、被告人が二、三千万円の現金あるいはガレのガラス工芸品を要求したとされているところ、そのような会話になった経緯は次のとおりである。すなわち、L弁護士は、それまで五〇〇万円が相場であると言い、それ自体に格別の条件等は付していなかったものであるが、八月二七日の電話で、M建設とD工務店がそれぞれ二〇〇万円をA組側に持参しているので、相場で解決するにしても残額は一〇〇万円になることを初めて持ち出し、「その辺をどういうふうに組は考えはんのかなあ」と聞いてきたのに対し、被告人は「あのう、感触的には、金額の解決にしても、あのー、百……百万では解決しないと思いますわ」と答え、重ねて被告人の感触を求められたことに対しては、「感触やったら……まああのー、ただ、そのー、お金なんかもらうわけにいかんということなんでねぇ。そんなこといわれると、またこっちも何ともできなくなっちゃうんですけども」と答えている。その後、右の「女を持っていく」云々の話に移り、更地のまま放置すれば新聞の耳にも入ったりして大変であるとのL弁護士の発言に対し、「ええ、そうですねえ、私はお金なんか言いたくはないんですけどね。ただ感じとしたら、解決するんだったら、かなりの金額を言うんじゃないかという感じがしますがね」「例えば、まあ二~三千万とか、ですね。そんなことを言う感じじゃないかなという感じしますわなあ」と述べたものである。ガレのガラス工芸品については、会話の後半部分で、L弁護士が「それはせやけど、二千万と三千万というて、一千万も差があるけど、どっちと考えたらええのやろか」と問い、被告人が「これはもう雰囲気ですからぁ、しかもですね、あのー、現金は、そのー、受け取らんいうてんねんなぁ。あんなこと言われてもかなわんのやな、本当にもうどないせいちゅうねといいたくなるんですがぁ」と答え、L弁護士が続けて「現金以外の物いうたら何やなあ」「金塊か?」「日本刀か?」とたたみかけて質問したのに対し、「いえいえ、そんなんじゃないです。あのー、ガレのガラス工芸品なんか好きなんですよね」「たくさん持ってますね」と答え、さらに「ガレのガラス工芸品いうたら、そんなに高いんかいな」と問われて、「ああー、ものすごい高いですよ」と返答したものである。

被告人は、二、三千万円の金額について、電話の中で、「理屈はもう全然ない」「理屈では絶対にだめですわね。正直なところ、理屈でやったって通る話じゃないんだと思いますね、僕は」と言い、これがそもそも理に合わない金額であることを認めているが、同時に、ガレのガラス工芸品の話を出した直後に、「ええ、でもそれも、うーん、うーん……そうですね、本当に気分の問題があるんですよね。困るんですよ、本当にもう」と述べるなど、二、三千万円の金額やガレのガラス工芸品に必ずしも執着しない態度も示しているもので、このことは、「あのー、解決されませんか。変な言い方ですけども」「あのー、感触的にはですね、あのー、もうそんなことを言わなくていいんじゃないかと言えば、そうやなという感触はあるんですよ。ええ。ですから、おかしくならないように、あのー、まとまるようにですね、あのー、動くのは、僕、どんなことでもして動きますので。ええ。もめてややこしくならないようには。そのぐらいのことはさしていただきますので」との発言や、「今の状況、そんなおかしな雰囲気とも思いませんのでね、僕、客観的に見て。あのー、うまくおだやかに、円満に行くための努力でしたらさしていただきます」との発言からもうかがえるところである。

被告人は、公判廷において、右のように二、三千万円という金額を言ったことについて、それは要するに「お金は受け取らないと言っているのに、L弁護士から強いていくらかと聞かれたために、お金の問題ではないということを強調するつもりで理屈の通らない金額を言ったに過ぎない」ものであるとし、ガレを持ち出したのは「まじめな話をしているのに茶化されたことに対する反発であり、その前の二、三千万円という金額には全く対応しておらず、ガレは五億円くらいの印象の中から出た言葉である」旨供述している。

これに対し、検察官は、論告において「右各文言は、客観的に恐喝、それも相当強度の害悪の告知と巨額の金品要求を含む恐喝文言ということができる」と主張している。

そこで検討するのに、右に掲記したように二、三千万円の話の前にはL弁護士の「女を持っていく」云々の発言があり、またガレのガラス工芸品の話の前にはL弁護士の「金塊か?」「日本刀か?」との発言があるのであって、被告人の発言はこれらの不真面目で被告人を揶揄するような言動に触発され、それに対する反発としてなされた側面を否定し難く、会話の流れからすれば、ガレの話は二、三千万円の話の延長線上にあるもので、ガレの意味を被告人のいうように「二、三千万円とは全く別のもの」と理解することには無理があると思われる点はあるにしても、被告人の発言は終始抽象的な次元にとどまっており、前述のように、二、三千万円の金品に執着する態度も示していないのであって、しかも、L弁護士にあっても、被告人の右発言を必ずしも正面切った高額の金品要求とは受け取っていないことは、電話の最後の方で、L弁護士が「うーん、まあ、そのかわりまあ、多少考えんならんということやな」「まあ、一遍こちらも相談して……みます」と言い、被告人がこれに「そういうことですわね」「そうですね」と答える会話が交わされていることからも十分推測されるところである。

(5) 被告人がA組の実情やAとの関係等を述べていることについて

被告人は、八月一日の電話と八月二七日の電話で、A組の実情や被告人とAとの親密な関係等を述べているところ、本件公訴事実にはその一部が引用され、これが恐喝罪における害悪の告知文言に該当するとされている。

しかしながら、被告人の右の発言は、L弁護士の発問に誘導されて述べた面があり、八月一日の「まあ組員がようけおりますからね」「二千人ぐらいおるんですかね」との発言の前には、L弁護士の「やっぱり向こうの事務長とか参謀とかいうのがおんねんやろ」との問いかけがある。八月二七日の発言は、確かに(Aとの関係について)「それですごく濃いんです」などの発言からも明らかのように、被告人はA組の内情やAとの親密な関係を得々と述べてはいるが、それも、そもそもの発端はL弁護士が「あそこ、組事務所というのは、大体、いつも、あのー、子分ちゅうのか、組員は何人ぐらいが常駐しておるの」「三十人も、おんのかいな」と述べて作出しており、さらに、建築妨害の点に関して、「それで、あれやろか、まあ四百行っとってやな」「もし工事、入ったら、また止められるやろか」「止めるやろな」「納得してへんねんから」とか、「で、やめといた場合は、やっぱり建てられへんのやろ」「納得しそうにないわな、今の状況では。一応『建てささん』ともう言うとんねからな」「意思表示をしておるんやからね」と述べ、妨害禁止の仮処分に関しても、「(仮処分を)打ってということだけども、その仮処分があっても、阻止したことはあるんでしょう」「仮処分をしたって、もう夜もあるしな」「要するに、Aは『はい、わかりました』と言っても、子分が勝手に動くということやな」と述べるなど、L弁護士の目論んだ結論を先取りして述べ、被告人の同意、確認を求めようとする態度も八月一日の電話におけるのと同様に認められる。検察官は、論告において「確かに、一見するとLから水を向けているような箇所もある」としながらも、それは「相手の真意を確かめるためにしたに過ぎない」と主張し、これに沿うL証言を援用しているところ、一連の会話の中にはそのように受け取れる箇所も少なくないが、八月一日の電話の特色として前に述べたところも含め、少なくとも右に引用した部分についてはL弁護士の強引な誘導が目立つのであって、検察官の右主張をそのまま採用することはできない。

また、被告人は、公訴事実にあるように、「あのー、対策費として五百万出させてと、こういう表現になるんでしょうけど、あのー、建ててもらった、建てさせてやったと、こういう表現になると思うんですけども……、いうことになると、えー、非常にみっともないと」「そんな端した金をもらって建てさせたんだということが外に聞こえたら、そんなもの歩けないという、そういう感じになりますわ」という発言をしてはいるが、続いて、「それやったら、いっそのこと、気いよう一銭も、そんなこと、皆返して、やめとけやということになりますね。ええ。感覚的にはそうです」「そらー、あのー、ご近所付き合いして、あのー、またちゃんとやっていきましょういうけど、そんなことでお金のやりとりは一切しないんですということでね、心底納得してもらえたら」「一銭も要らんわけですけどね」などと、金銭なしでの解決も十分あり得るとの発言もしているもので、さらに「で、まあ、あのー、どういう案であろうと、一応、とりあえず僕と先生とのベースではもうフランクにいっときましょう。で、今実際問題としては、あのー、非常に対警察ですね、大阪府警などはものすごく注目している、最高度に注目しているところですわ」「ええ。ですから、そんなにねえ。おかしなことは出来ないんです」と述べて、弁護士間の交渉の場における提案であることを確認するのと同時に、自己及びA組の置かれている状況についてもこれを明らかにしている。

なお、被告人が「かなりの部分で私の言うことを聞いてくれる面はあるんですよ」と述べていることについて、検察官は、論告において「A組」が被告人の言うことを聞いてくれるものとして右発言を引用しているが、これは東映映画のタイトル変更の問題に関連して述べられたもので、「A」が被告人の言うことを聞いてくれるとの趣旨であることが明らかである。そして、続いて被告人が「ただ、僕がその点をあんまりつぶさに聞けませんのでね、推し量って考えて、和解案を……これは東映との話ですけども」「出して、調停していくと、いう感じなんですよ」と述べていることからすると、これらの発言は、被告人がAの関係する調停案件に関与する場合の実情をそのままL弁護士に伝えたものに過ぎないものであり、被告人の右発言をもって、被告人のAに対する影響力の大きさを誇示したものと評するのは適切ではない。

これらによれば、被告人の右発言は、弁護士同士の、しかも弁護士としての業務を遂行する過程における会話であることを前提に、先輩法曹で、親しみを感じていたL弁護士の誘導的質問もあって、これがそのままL弁護士の依頼者らに伝わることを予想せず、いわば会話中の余談として、山口組内部の実情やAとの関係を述べたり、「やめ……、『絶対にやめとけ』と言わん限りは、そういうことになっちゃうでしょうね」「ええ、まあ抗争みたいなものですしね。あのー、波谷組の抗争がありましたね。あれも『やめておけ』と言わない限りは、当事者は行かなきゃいかんわけです」「ええ。前提がとにかく何か権威に傷つくことがあったら行けというのがもう大前提でしてね」「前提はストップがない限り行くんです」などと、暴力団の行動傾向についての自らの観察あるいは識見を、無防備、無警戒なままに披瀝したものにとどまっているものである。しかも、弁護士業務の性質に鑑みると、本件におけるL弁護士の存在を被告人の言動をK及びDに伝える全くの伝達機関として位置づけることは相当でないと考えられるところ、電話での会話内容そのもの及び押収してある各録音テープを再生・聴取して感得される会話の雰囲気や語調による限り、被告人のL弁護士に対する言葉使いは全体に丁寧で、談笑も交え、時にはへりくだっているところもあるのであって、L弁護士が被告人の言動に畏怖困惑した様子がうかがえないことも参酌すると、被告人の右発言等がK、D及びその関係者の生命身体に対する加害を示唆しているものとはいえず、検察官が公訴事実、冒頭陳述さらには論告において主張し、指摘している諸点をも含め、これが直ちに恐喝罪にいう害悪の告知に該当するものということはできない。

2  九月一〇日以降の電話における被告人の発言について

九月一〇日以降の電話における被告人の発言は、害悪の告知の点でも、金品要求の点でも本件公訴事実を構成するものではないが、八月二七日までの被告人の発言の意味を解釈するについてなお重要な意義を有するものであるので、これまでと同様に被告人の発言について検討を加える。

(1) 九月一〇日の電話は、A本人の意向が不確かながら直接確認できたことを前提に、L弁護士に対し新たな協定書の作成を求めるとともに、被告人が五〇〇万円あるいはそれに近い金額に相当する記念品の提供を求めたものである。

新たな協定書の作成を求めている点については、被告人が「それでですね、えー、もう形は、いわゆる、そのー、いろんな問題が起こったときに補償すると、問題が起こらないようにできるだけ協力するという、一般的なやつのちょっとやや詳しい目に作ってですね」「あのー、工事が、で何かそのひびが入ったりとか、どないかなったら補償するとかなんとかいうですね、まあ何ちゅうかな、あのー、そんな難しくもない、型どおりの、やや詳しい目に、もっともらしく作っときゃいいと思うんですがな」と述べていることから認められる。

五〇〇万円あるいはそれに近い金額の記念品の提供を求めている点については、L弁護士が二、三千万円なんて出せないと依頼者が言っている旨述べたのに対し、被告人が「それであのー、何にもなしじゃまた具合が悪いと思うんだな俺、あっ、僕ですね。あのー、そんな、でかい金額じゃなくていいですから、あのー、何か記念品でも一緒に付けてもらえませんやろか」「例えば、そのー、A組ならば五百万要るというふうに考えておられるということであれば、それ相当分ぐらいでもええかとも思うんですがね」と発言していることから明らかであり、このことは、L弁護士の「せやけど、既に四百行っとんねんで」との発言に、被告人が「あっ、そういう計算になるわけですか」と答え、L弁護士が、二、三千万円を前提に「結局ロールスロイスとかな、ガレとかな」「ほかのまあー絵描きの絵とか」などと言ったのに対し、被告人が「そんで、金額下げましょうや、先生。あのー、極端にいえばですね。あのー、そのー、約束事一枚でもええわけですわ」と答えていることからも裏付けられている。被告人は、公判廷において、右の「金額下げましょうや」との発言は、「お金の話はやめましょう」ということを言ったもので、「約束事一枚でもええわけですわ」の方に意味、重点があり、この九月一〇日の電話で民事交渉としては十分解決している旨供述しているが、これは、九月一〇日の会話の流れに明らかに反するものであり、「約束事」云々には「極端にいえば」との限定文言が付されていることからしても、被告人の右供述はたやすく信用することができない。そして、Aの真意は金銭の授受なしの解決であるとしながらも、被告人が右の意味での記念品の提供に最後までこだわっていることは、被告人の「先生、あのー、解決してくれませんかね。えー、額面どおりいけば、何もなしでもええことになるんだけど、それはちょっと何となくまずかろうという予測がするんですよ」との発言や、「うん。それを言うのは、若干遺恨が残るという気がするんですよ、正直な印象は」「かといって、そんな、あのー、大きなものというのはもうないと思いますね」「まああのーいずれにしても一度相談していただけませんか」との発言からこれを認めることができ、また、そのような記念品の授受が少なくとも社会的妥当性の観点から問題となり得ることを被告人も十分認識していたことについては、被告人の「Aさんでなきゃ、こんなことは絶対にしませんけどね」「いや先生、それはもう私が好き好んでやっていることですから、どのように思っていただいても、またどういう処罰していただいても、僕はかまわんのです、本当に」との発言等からうかがうことができる。

なお、検察官は、論告において、それまで全く協定書の話がなかったのに、九月一〇日の電話で急にそれが出たのは、犯行が警察に発覚したことを了知した被告人が、その犯行を隠蔽するために出た言動と推定できると主張するが、警察が既に捜査を始めていることを被告人が当時知っていたことをうかがわせる証拠はなく、また、事実右に述べたとおり、記念品の提供を求める態度は九月一〇日の電話においてむしろ強まっているのであって、被告人の言動を検察官の右主張のように理解することはできない。

(2) 九月一三日の電話は、記念品の提供を求めた九月一〇日の電話での態度を被告人が改め、「私自身は、そのー、こういう工事の迷惑とかなんとかに絡んで金品を要求するのは、これは間違っていると思いますので」「気持ちよく建てさせてあげてくださいということを説得してみます」と述べて、Aを説得し、金品の提供を伴わない解決に尽力する旨をL弁護士に伝えたものである。

これについて、被告人は、公判廷において、一三日の電話は「一〇日の電話でのL弁護士の回答がはっきりしなかったので、私の方で説得するということを明確に伝えたもの」であり、会話の後半で被告人が「ええ、これなんか請求権としてはないでしょう」と言ったのは、「L弁護士が依頼者と連絡がとれないなどと言ったことに同調して言ったリップサービスである」と述べている。確かに、被告人の新たな協定書作成の申し入れに対して、L弁護士は「(K社長について)もうあの僕のほうでは連絡はつかん状態ですわ」「まあ僕の手を離れたような形になってしまってますわ」などと明らかに事実と異なる返答をし、被告人がそのような事態になっているかと思い、「はあ、そうしたら僕も助かります」「お互いこれ」と言って、この問題からお互いに手を引こうと言うと、それまではAを当事者と明示する協定書の作成には消極的であったL弁護士が態度を変えて「先生のあれとしては、あのー、まあ新しい協定書が欲しいということなんですね」と言い出すなど、曖昧でつかみどころのない態度に終始しているが、そうであるからといって、被告人の右発言が単なるリップサービスであるとは解し難く、被告人が明らかに態度を改めたことは、右に引用した被告人の発言そのものに加え、押収してあるL弁護士の電話連絡帳(平成三年押第二二七号の11)により認められる、九月一〇日の電話が終わった直後の同日午後零時四〇分ころを初めとして、同日午後四時一四分ころ、翌九月一一日午前九時五八分ころ、九月一三日午後一時二〇分ころ、同日午後二時二二分ころの合計五回にもわたり、被告人がL弁護士に電話して連絡をとろうと努力を重ねている事実からも推認されるところである。

(3) 九月一七日の電話は、Aの真意が確認されたということを伝え、L弁護士に対し新たな協定書の作成を求めた電話である。

(4) 九月二五日の電話は、L弁護士の方からかけた電話で、前にも触れたように、L弁護士が同月一八日検察庁で井越検事に対し八月一日から八月二七日までの電話による会話の録音テープを再生して事件内容を説明したところ、予期に反して同検事が恐喝未遂事件の立件に慎重な姿勢を示したように思われたことから、それまで警察の捜査に頼ろうとしてきた方針をL弁護士において改め、被告人が提案してきているAを当事者と明示する協定書の作成を受け入れることにより事の進展を図ろうとしたものである。同日及びそれ以降の各電話では、本件協定書の再確認書の作成に向けて、被告人とL弁護士の間で再確認書の形式や内容等についての打ち合わせが行われている。

3  小括

以上検討したところからすれば、八月一日の電話の時点までは、被告人は代理人には就かないことを前提に第三者的立場で応答しており、八月一日の電話中には金品要求に関連する言動が若干含まれてはいるものの、いまだ抽象的であって、具体性のある金品要求の行為はない。また、八月九日の電話も、代理人になることを明らかにしたうえで、記念品の提供による解決を提案してはいるが、これも抽象的であって、具体的な提案は将来に留保されていることからして、金品の要求行為があったものということはできない。

問題は八月二七日の電話における「二、三千万円」及び「ガレのガラス工芸品」の意味をどう理解するかであるので、さらに敷延してこの点を検討するのに、これが具体性のある要求行為で、相手方の意思決定を強いるものであるとするならば、本件工事の請負代金が約一億四〇〇〇万円に過ぎないことからして、明らかに常軌を逸した不当な要求ということになる。しかしながら、被告人が右のような発言をした経緯をみると、これらはいずれもL弁護士の「女」「金塊」「日本刀」といった不真面目な言葉に触発されて、これに対する反発としてなされた側面を否定できず、また、二〇〇〇万円と三〇〇〇万円のどちらかと問われて言葉を濁しているように、被告人にはこの問題に深入りすることをむしろ回避しようという姿勢が認められ、すぐ別の問題に移行するなどしているもので、会話からは、「二、三千万円」や「ガレのガラス工芸品」が実際に提供可能であるかどうかについて被告人が当たりをつけている様子も何らうかがえないし、前記のように、これとは反対趣旨の金品の提供によらない解決の可能性についても同時に述べているものである。このように、被告人に「二、三千万円」や「ガレのガラス工芸品」の提供を現実化させようとする意欲が欠けていることは、九月一〇日の電話において、被告人が五〇〇万円あるいはそれに近い金額に相当する記念品の提供にかなりこだわっていることとの比較からも明らかといえる。

もっとも、被告人は、八月二七日の電話の冒頭でも、Bが二〇〇万円を受領して入るらしいことをIから聞かされたうえで、なお本件があくまでL弁護士の方から五〇〇万円の提供による紛争解決を提案してきた案件であるとの理解を前提に、記念品の提供による解決を打診しているが、これについても、いまだ「指針が出ていない」ことを断ったうえでの発言であり、「百万では解決しないと思いますわ」という発言は、既払い分が四〇〇万円になることを突然聞かされ、L弁護士に「あと百万やわな」と言われたことに対応しており、「それにしても、出費の要ることですからね」という発言も、その直前にL弁護士に「女をもっていくかなんか……」と言われたことに対応しているのであって、いずれもL弁護士の言葉に反発した側面も否定できず、その後話題が「二、三千万」や「ガレのガラス工芸品」に移ったために、抽象的な話の段階で終わっているものである。

さらに、九月一〇日の電話において、被告人は記念品へのこだわりを示しており、被告人の電話における一連の提案の中では強い態度を示したものとなっているが、九月一三日の電話においてこれを直ちに撤回しているもので(実質的には九月一〇日の電話の約一時間後にかけた電話で撤回の意思を伝えるつもりであったと推測される)、本件での被告人の言動全体からすれば、交渉過程の一時期における若干の逸脱に過ぎないものと評価できる。また、被告人は、九月一〇日の電話で「金額下げましょうや」と述べているところ、これはL弁護士の二、三千万円を前提とする「ロールスロイス」「ガレ」等の言葉に触発されたもので、二、三千万円を基準にして金額を下げようと申し出ていることは否定できないところであるが、被告人の右発言は、前後の会話の流れからすると、五〇〇万円あるいはそれに近い金額に相当する記念品の提供を提案している点に眼目があるのであって、被告人の右発言をもって、八月二七日の電話における「二、三千万円」の提示が具体的要求であったことの論拠とするのは相当ではない。

してみると、安易に「二、三千万円」とか「ガレのガラス工芸品」等の話を持ち出した被告人の発言は、弁護士間の会話という特殊性がその背景にあり、またL弁護士の誘発に乗せられて、テープ録音されていることを予想せず、無警戒のままに語ったという事情があるとはいえ、これを道義の面から見ると、いかにも思慮を欠いた軽率なものとの謗を免れないものであるが、これまで検討したところから明らかなように、八月二七日までの電話における被告人の各発言は、これを共犯関係にない第三者であるAへの高額の物品の交付を求める要求行為というには余りにも抽象的に過ぎ、これに対する意欲もうかがえないもので、相手方の意思決定を強いる程度までは至っていないものといわざるを得ず、本件では、NがDから二〇〇万円を受領していること等から、Aの側に民事上の請求権が最終的には認められない可能性が大きいとしても、被告人の言動は、L弁護士が最初に口火を切った「相場としての五〇〇万円」を前提に、その範囲内での解決を打診したものにとどまっており、前述のとおり、被告人が山口組内部の実情や暴力団の行動傾向等を語ったことが害悪の告知とはいえないことからしても、被告人の言動をもって恐喝罪にいう財物の交付を求める実行行為、すなわち喝取行為と評価することはできない。

四  結語

以上説示したところによれば、本件公訴事実は、E及びNらとの共謀という点においても、また、被告人自身による金品要求行為の点においても、結局その証明がないことに帰するものであり、弁護人が主張するその余の点について論ずるまでもなく、被告人は無罪である。

第三  公訴棄却の申立てについて

弁護人は、本件捜査及び公訴提起の違法を理由に公訴棄却の判決も求めているが、右に述べたように本件では無罪の実体裁判をなすべきことが明らかな以上、形式裁判である公訴棄却の判決を求める利益はないものと解するのが相当である。

よって、刑事訴訟法三三六条により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷口敬一 裁判官 中川博之 裁判官 溝國理津子)

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